|
テーマ:鉄道(23005)
カテゴリ:秋田市 勝手に観光案内
秋田の街には、昭和40年の暮れまで路面電車が走っていたそうです。
私が生まれるより前に廃止になっているので、現物を見たことがありません。 現在の秋田駅前から、久保田城のお堀端に沿う「広小路」を通り、拡幅前の大通り(現在の「竿燈大通り」)を通って、現在の山王十字路付近からは北に進路を変えて、通称「新国道」に沿うように敷設された専用軌道を北進。秋田と土崎の境界(…心理的には)の草生津川を橋梁で渡って高清水の丘を少し登り、将軍野から土崎の街中を併用軌道というか、砂利道に線路を引いて抜けて土崎停留所(現在の「港中央一丁目」バス停付近)まで、7kmほどのかわいい電車だったそうです。 最盛期には秋田~土崎間の交通のメインで続行運転もあったそうですが、昭和30年代中ごろにはモータリゼーションのほか、市電、バス、国鉄合わせて1日200往復も運行されるに至って、単線で輸送力に限界があった市電は競争に負けたということです(後述の展示より)。 土崎地区で細い砂利道に線路が敷かれているようすは、写真を見る限り、現在でいうと江ノ電の併用軌道区間のような雰囲気だったようです(江ノ電は舗装)。 線路そのものが残っているような区間は残念ながらありませんが、旧線路敷が道路に転用、または、土地の区画に線路跡ラインが反映している区間が結構長く見られます。 (google earth) 川を渡る橋梁は10年~15年ほど前に車が通れる橋に架け替えられましたが、それより前、私が高校生だった頃は、線路幅分しかない歩行者・自転車専用橋でしたので、もしかしたら路面電車時代の橋を橋脚だけでも転用したものだったかも? (橋の形態自体は、残されている写真と明らかに違う) 当時は何とも思わなかったので、写真を撮っておかなかったのが悔やまれます この橋より土崎側(北西方向)は、現在も全線にわたり市道になっていて、一部は現在も「電車通り」と呼ばれます。 特に、「将軍野停留所」にあった松の木は健在で、現在もランドマークになっています。 自動車学校がこの近くで、路上の最初のほうのコースは、この松の木が行き先でした。 指導員から「三本松まで行ってね」という指示をもらった20年前の遠い思い出。 羽州街道に面していた終点「土崎停留所」だったところだけは、現在は私有地ですが、すっと駐車場のまま。 国鉄(JR)土崎駅は北北東の方向で、この画像の外です。 もっと詳しく知りたいと思っていた折、今年、秋田県立美術館において、往時の写真や資料の展示会が開かれ、一部はその後、秋田県立公文書館(県立図書館内)でも公開されました。 どちらも写真撮影OKだったので、沢山撮りましたが、やはり写真は手元の印刷物で見たいなあ~と思っていたところ…
2024.05.30追記 楽天ブックスでは売り切れとなりました 画像をクリック・タップしてもご購入いただけません なんと!このような御本が早速発売されました 展示会が行われたあたりから、出版の話は耳にしていましたが、意外に早く出版されました 鉄は熱いうちに…かな? 出版元は秋田の郷土史、郷土出版物の多数手がける「無明舎出版」さん。 (社長の御講話を拝聴したことがありますが、私は結構面白かった) 展示会では看板や切符の現物も展示されていましたが、当然ホンモノを付属させるわけにはいかず、往時の写真中心の内容でしょう。しかし、細い敷地からニョロっと現れる電車や、現在は住宅が立ち並び見通しが利かない寺内地区の風景(遠く国鉄操車場をバックに市電が走る)など、見ものの写真が沢山載っていることでしょう。 早速注文し、到着待ち さらに、この本のリンクを作成する過程でこんなDVDも見つけました。
北海道・東北編に、秋田市電が収録されているそうです。 単品もあります
路面電車が走っていた街は、東北では秋田のほか、仙台、福島かな? 秋田市内の廃線跡は市電のほか、羽後牛島から出ていた貨物専用線2路線、新屋から出ていた貨物専用線2路線、あまり知られていませんが秋田臨海鉄道南線の旧穀保町駅付近からも引き込み線があったそうです。 ※秋田臨海鉄道北線は休止路線 皆さんがお住いの街で、昔は線路があった…というところをご存知だったら、ぜひ探検してみてください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[秋田市 勝手に観光案内] カテゴリの最新記事
|