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カテゴリ:日本語
いわゆる日本語本のひとつに、『問題な日本語』(大修館)という本がある。
ぼくは日本語講座を始めるにあたって、巷に出ている本をとにかく素直に読むよう勧めている。まずはひたすら著者の声に耳を傾けよ。知識としてまちがったことはほとんど書いていないはずだ。その点では、学ぶことは多い。 学ぶべきところは学ぶ。ただし、「ああ、そうですか」とひたすら相手の言うことを聞くのではなく。批判的に読む必要がある。 この本は話題になった。売れに売れた。なぜか。 ほかの本と何がどうちがうのか。そういうことを考えながら、読むといい。 「批判的に読め」と言われても、具体的に何をすればよいかわからない人も多いことだろう。むずかしいことは何もない。まず、まず著者の北原さんが、いったいどの立場の人の疑問を取り上げて、それをどの立場から説明しようとしているのか。あるいは、だれに向かって書いているのか。そういうことを考えてみる。 ここで取り上げられているのは、ほとんどが、いわゆる庶民がふだん身の回りで耳にする日本語である。使っているのも庶民、それをおかしいと思っているのも庶民である。 もしも、それだけに限定しておれば、お上対庶民という単純明快な構図が浮かび上がることになる。庶民がいわゆるまちがった使い方をしているものや、使い方に自信をもてないものに対して、お上や学者の立場から見解を述べるというものである。 ただ、著者も言うように、「単におかしいと切り捨てるのではなく、そのような表現が生まれてきた理由を考える」ところが、これまでの日本語本とは一線を画するものであるらしい。 その分、切れ味が悪い。切れ味がよくない分、自分の使っている語法もある程度は弁護してもらえる。何だか変だなあと思っていたものを、きちんとした根拠を挙げて、まちがっていると言ってくれる。その逆もあるけれども、だいたいは自分の理解でまちがっていなかったのだと、何だか自信がついてくる。これまでの日本語本とちがって、「まちがってますよ」と叱られている気がしない。それが庶民から受け入れられた理由のひとつでもあろう。 ところが、この本にはお店でしか使わない表現が3つ取り上げられている。「こちら~になります」、「よろしかったでしょうか」と「コーヒーのほうをお持ちしました」である。「おビール」は一般の人でも使うので、このなかには入れないことにする。 お店でしか使わない表現には当然、庶民の間で自然発生的に生じたものではないものが交じることになる。 庶民が自分と同じ庶民のことばに違和感を覚える場合と、店の人が使う日本語に違和感を覚える場合とは、本当なら別々に論じるべきではないかとぼくは思う。 お店の人が使う表現には、ことばを恣意的に操ろうとする権力の存在が見え隠れする。 当然、庶民が使う表現を「裁く」やり方とはちがったものになる。現に、北原さんももうひとつ「台風が上陸する可能性があります」というニュースの表現を取り上げているが、庶民の使う表現は時に肯定、時に否定しながら、お店やマスコミの表現はことごとく弁護する側に回っている。それも、いともたやすく弁護できるものばかりが選ばれている。 しかも、ただひとつ、もっともっと追及してしかるべき「よろしかったですか」だけは、故意ではないかと思えるほど本質にふれるのを避けていて、それが何とも拍子抜けである。 お上が庶民を諭すという構図自体は、この本でもいっこうに変わらないのではないかと思う。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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