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カテゴリ:陸上
 大勢でわいわい騒ぐ宴会もいいけれど、本当に気心の知れた数人だけで食事をするのもまたいいものだ。

 ちょっと広まりすぎてしまったマラソンでは、もはやそうはいかない。

 そんなところに、20キロをひたすら歩くだけの大会がある。それも中高年に限定した大会。

 場所は岩手県の北上市。毎年秋に開催される。

 参加料3000円を高いと言うなかれ。なにしろ、競技場半日貸切。選手控え室には一人ずつテーブルまでついている。競技場の使用料は競技場によって異なるが、これが大阪なら長居の二競技場を借りれば1日180万円、万博記念競技場54万円、服部競技場18万円。そこまではいかないにしても、競技場を貸し切るというのはすごいこと。

 しかも、わずか十数人の選手のために、その何倍もの人が世話をしてくれる。1周2キロのコースには、競歩審判員、周回係、給水係などが並ぶ。

 スポンサーや協賛団体の数も選手の数を上回っている。

 わずかこれだけの選手なのに、大会名の入ったTシャツも参加賞についている(昨年の大阪で開催された全日本マスターズでは、大阪市が一銭の金も出さないというので、1万円寄付したのに、参加賞は帽子とタオルだけ。しかも、世界マスターズと重なったので出場できず、参加料だけ支払ってあとで参加賞を受け取るかたちになった。なぜこうもちがうのか。今すぐ大阪市民をやめて北上市民になりたい)。

 スタミナを消耗してゴールにたどり着けば、控え室にはちゃんと昼食が用意してある。それも、この手のお弁当としてはなかなかの豪華版。

 まさに至れり尽くせり。こんなに甘えていいかしらと思ってしまう。


 これだけやってもらって、やはりいい結果を残さないと申し訳ない。

 昨年は強度の貧血のため、出場を諦めた。今年はようやく回復して、久々にいい練習ができるようになったと思った矢先、5月にヘルペスが発症した。何といっても20キロ、半端な距離ではない。何もかもが順調に行ってはじめて思うようなレースができる。それをここでつまずいて、1週間も10日も練習できないのでは、北上の20キロ競歩出場はムリといったんは諦めた。妻にもそう宣言した。「北上には行かない」

 それが覆ったのは、7月初めに鳥取であった中国マスターズだった。合わせて1ヵ月近く練習ができなかったので、5000メートル競歩で30分はおろか、35分くらいかかるのではないかと思っていた。

 それが前半自重しながら歩いていると、後半徐々にペースが上がり、29分51秒で歩くことができた。

 そのとき、ぼくは思った。このまま北上を諦めたら、そのまま気持ちが萎えてしまう。そうなれば、次のインド(11月のアジアマスターズ、ベンガルル)も見えてこない。ヘルペスの後遺症はあるけれども、ゆっくりでもいいから、できるだけ距離をかせいで、20キロを歩ける状態にまでもって行こう。

 こうして気持ちを取り直して、リハビリに近い状態で練習を再開した。ところが、今年の夏は暑かった。夕方6時以降に練習時間をずらしはしたが、1日13キロはきつかったのかもしれない。脱水症状のためか、今度は北上の2週間前に軽い痛風が出た。これで練習を休むこと6日間。

 散々な状態でレース当日を迎えることになった。

 先頭集団のペースがそれほど速くなかったので、一時気持ちが揺れた。本来なら楽につけるはずのペースだ。だけど、ここで自分を抑えなくては完歩もおぼつかない。いつもの体ではないのだから。自分にそう言い聞かせて10位につけ、まどろっこしいペースを維持しながら、集団が視界から消えるのを見ていた。
キロ6分30秒、病上がりでレースをまとめるには、ひたすらこのペースを守る以外にない。

 5キロを過ぎて8位にあがると、前に3人の姿が見えてきた。いや、すぐに抜きにかかってはいけない。先は長い。はやる気持ちを抑えて少しずつ少しずつ詰めていく。そのなかに同じクラス(M50)の選手が一人いる。これを抜けば年代別では1位になれる。

 10キロを過ぎ、ついに5位の選手につけた。だいたい、ぼくは血の気が多い。いつまでも他人の後ろにつくなんてことができる性分ではない。それでも、この日ばかりはスタミナの不安の方が大きく、一人になってどこまで歩けるかちょっと見当がつかなかった。

 どこで出るか。残り3周か2周か。それとも、場合によっては最後の数百メートルで勝負することも考えていた。結局は途中でペースが落ちたので、15キロ手前で前に出た。この状態で5番目に返ってくれば上出来だろうと思っていた。

 それがどうだろう。ゴール手前になって、もうひとり選手が見えてきた。15キロで3分以上離されていたはずだ。まさか追いつけるとは思っていなかった。年代別の順位には関係ないけれども、これは抜かせていただくことにする。こうして、総合4位でゴールすることができた。記録は予定の6分30秒ペース、2時間10分にはわずか7秒届かなかった。

 前が次々に落ちてくるなかで、最後までペースを守りきった。

 自分にも、こういうレースができるんだ。練習ができていないなりに、どうにかまとめることができた。これもなかなか味わい深いもので、今後の自信にもつながるものだ。


 そして何よりも、この北上の地にやってきた少数の者しか経験できない「気分は招待選手」、それが何よりも忘れがたい。


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最終更新日  2006年09月20日 09時44分23秒
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