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カテゴリ:陸上
「猫とバスケと翻訳」というブログで、ななさんが練習のあり方を問うている。
上をめざすべきか。それとも楽しく練習するべきか。この「楽しく」が実はミソで、英語のenjoyの影響もあって、今では「広い」を通り越して、非常に横着な使われ方をしていると思う。どんなスポーツでも楽なことばかり考えていては本当の喜びは味わえないわけで、どこかにマゾ的な要素があることも否めない。ぼくなんかも1日に10キロ歩いたくらいではほとんど疲れを感じないので、その日練習をやったという達成感がない。練習の間、苦しみを感じないことがすなわち楽しい練習であると思われても困る。 その昔、弟が競歩を指導していた高校生で、幻の日本記録を出した女子選手がいた。あとで距離が不足していたことがわかり、正真正銘の快挙にはならなかったが、日本一になるのも夢ではないと思わせるものだった。 周りには大阪ガス、JR西日本、NTT関西などの実業団の男子選手もいて、時にいっしょに練習もしていたようである。ちょうど91年東京の世界選手権を数年後に控えていたころで、代表を狙っている選手もいた。 そんなものだから、大きな期待がその女子選手に集まり、「そこまでいったら、絶対頂点を狙いに行け」というような調子で、かなりきつい練習を要求したようなところがある。 ところが、当の本人にとってみれば、たまたま始めた競歩でちょっとばかりうまくいったというだけのことで、自分にはほかにもやりたいことがあり、まだまだそれだけにのめりこむような気持ちにはなれなかった。 結局は周囲の期待がその選手をつぶしてしまった。 何度も大阪選手権の長距離種目を制した男子選手がいる。確かマスターズの日本記録ももっているはずだ。もちろんむちゃな飲み方はしないが、酒を控えてまで強くなりたいとは思わないと言う。日の丸を背負って精神的にも追い詰められ、勝てば祝福されるけれども、負ければマスコミから手のひらを返したように見捨てられる。そんな人生を拒んだということだろうか。 ぼく自身は高校時代に陸上部にいたが、いったんやめて25歳で再開、その後も何年間かトラックから姿を消している。30を過ぎて競歩を始めたとき、ぼくのことを「あの歳になってまた始めるとはすごいことだ」と言ってくれたのを、人づてに聞いた。上だけを見るのではなく、下もちゃんと見てくれていた人だった。 それぞれの人生があって、そのなかにスポーツがあるわけで、それを飛び越して、どこそこで優勝とか、日本選手権だのオリンピックだのと言っても始まらない。 もちろん、個人競技では簡単にできることでも団体競技ではそうもいかないことがある。この点については、また近いうちに考えてみたい。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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