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カテゴリ:日本語
 このサイトとリンクしている「SOHOの仕事部屋」で『祖国とは国語』が取り上げられている。「人は自分がもっている語彙の範囲を大きく超えて考えたり感じたりすることができない」にはまったく同感だ。ただ、思考するにあたって、その乏しい語彙すらも使いこなせないのが現状なのではあるまいか。

 以前、医薬翻訳賞なるものを主宰したとき、小論文のテーマに「文体の規範としていること」を書いてもらった。その「規範としていること」に、専門誌やクライアントの指示などを挙げた人があまりにも多く、しばらくは論評を書く気にすらなれなかった。「規範としているもの」を出題したのではなく、あくまでも「規範としていること」を問おうとしたのである。

 そうであれば、「直前に比較の対象がないかぎり、『より』を使わない」や、「効果を狙うのでないかぎり、連体形のあとに『、』を打たない」のように、何らかの原則に言及すべきであって、専門誌やクライアントからの指示といった具体的な印刷物や文そのものを挙げても何の意味もない。

 そうかと思えば、世に氾濫している粗悪な翻訳の具体例を挙げ、「専門家にしてこのような訳文しか書けない裏に何らかの社会的病理が潜んでいるとすれば、その病理について論じてください」と出題したところ、「私には今春医師になった娘がいます。大学の医学部を主席で卒業した自慢の娘です。出題の訳文はきっと娘のように若い医師が訳したものでしょう。みながみな、このような訳をするとは思えません」のような回答が返ってきたことがある。そのあとは「それにしても、医学の世界では英語の占める比重がまだまだ少なすぎます」と、こちらの問いかけは適当にあしらっておいて、出題の趣旨とは何の関係もない「英語に関する決まり文句」の羅列である。ことばがまったく機能していない。

「こと」と「もの」とのちがいだけではない。「わかりにく」と「むずかしい」をごっちゃにしている人がいる。このふたつは同じではない。同じではないからこそ、「むずかしい問題をわかりやすく説明する」ことが可能なのであって、もしも同じであれば、どう手を尽くしてみても、むずかしい問題をわかりやすくすることなどできるはずがない。

 ある文が「むずかしい」か「易しい」かは本人の知識や理解度によって変わってくるが、「わかりにくい」文であるか「わかりやすい」文であるかは本人の知識や理解度とは無縁のものである。「わかりやすい」か「わかりにくい」かは絶対基準であって、判断する人によって変わることがあってはいけないものである。もちろん、「わかりにくい」文でも、本人の理解度がその内容の難易度を上回っておればそれなりの判断を下すことはできる。

「わかりにくい文」と「難解な文」とは同じではない。「難解な」というのは内容に言及するものであると同時に、説明に使われていることばが(読者の理解度からみて)「むずかしい」ということであって、「わかりにくい」わけではない。「わかりにくい」文はいくら読者が研鑽を積んでも「わかりやすく」なることはないが、「難解な」文は研鑽を積めば(その人にとっては)「易しくなる」。あくまでも「易しくなった」のであって、わかりやすくなったのではない。理解ができた点で「わかりやすい」と思ったとすれば、もともと「わかりやすかった」のである。

 この点を勘違いしている翻訳者が多い。翻訳者が「原文の通りではわかりにくいので、わかりやすくしました」と言うときには、たいてい(自分にとって)「わかりやすい」文にしてしまっている。

「わかりにくい」、「わかりやすい」が絶対基準であれば、(自分にとって)「わかりやすい」という形容自体に矛盾があることになる。まさしく、その通り。(自分にとって)わかりやすい」文にしたというのは実は錯覚で、本当は文を改変して、「むずかしい」ところをどこか省略してしまったために、「易しい」内容(言い換えれば、以前より内容に乏しいもの)になっただけのことである。だから、「易しく」なったと同時に「わかりやすく」なったというだけのことで、「易しく」してしまったなどとは思いもよらず、「わかりやすくなった」と悦に入っているのである。

 それでは、果たして自身の知識や理解度を超えるものが「わかりやすい」か「わかりにくい」かを判断できるだろうか。もちろん、できる。『祖国とは国語』にもあるように「わかりやすい」ものは「美しい」からだ。内容がよく理解できなくても、美しいと思うことができれば「わかりやすい」と判断することができる。


 近ごろよく、翻訳会社と話が通じないという翻訳者からの訴えを耳にする。原文の構文を踏襲したのではわかりにくいので、わかりやすい文にしたいと言うと、専門家が読むものなのでわかりやすくする必要はないという答えが返ってきたそうだ。まるで話が噛み合っていない。「むずかしい」ことと「わかりにくい」こととの違いがわかっていない。専門家が読むものだから当然むずかしい。その「むずかしい」ものを易しくしてしまうことは禁物だ。「むずかしい」ものは「むずかしい」まま「わかりやすく」するのが翻訳者の仕事である。受講生にはじっくりと時間をかけて、それを体で覚えてもらうことができるが、ぼくの目の届かないところでは「わかりにくい」ものを「わかりにくい」まま「易しく」することを「心がけている」翻訳者が何と多いことか。

 どうも易しいことばを使っていたのでは理解してもらえないようなので、むずかしいことばを使う必要がありそうだ。「日本語の論理として筋が通った文にしたいのですが」とでも言えばわかってもらえるだろうか。

 返ってきたフィードバックを見せてもらったら、原文の流れやニュアンスが捨象されてしまっている。本来、識別するべきことをぼんやりとしか捉えていない。つまり、(赤を入れた人にとって)「易しい」文になってしまっている。そのくせ、「わかりにくい」ままでいっこうに「わかりやすく」なっていない。どうやら、翻訳者ばかりか監修者までが、「わかりにくい」ものを「わかりにくい」まま「易しく」することを心がけているらしい。日本の医学が世界に遅れをとるはずだ。

 問題の解決にはまず、こんな易しいことばの理解から手をつけないといけないなんて、「祖国」は何と遠くにあることか。

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最終更新日  2006年12月19日 17時01分08秒
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