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カテゴリ:言語
どの言語も、初めて学ぶ人にとっては(知的生産に必要な)約2万語の未知数から成る壮大な方程式である。まさに二万元方程式。 方程式であるからには、解く方法がある。 別に学校でなど教えてもらう必要はない。 というよりはむしろ、その解き方を教えるべきなのである。もちろん、それ以前に、言語というものが方程式であることを教える必要がある。 方程式だからこそ、子どもが母語を覚える過程で、そこに潜む文法も解いてしまう。 数学で二元方程式や三元方程式を習ったとき、未知数の分だけ式がいると教わったはずだ。そうなると、二万元方程式を解くには少なくとも式が二万は必要になる。言語の場合、数学より複雑な面があるので、式はもっと必要になる。さしずめ20万ページくらいは覚悟した方がよい。 何をするにも、それくらいの数字は必要で、マラソン選手として大成しようと思っても、1年で最低1万キロ、選手によっては引退するまでに地球から月までの距離を走ることになる者もいるはずだ。 数学の時間に何らかの方程式を解くように言われ、必要な式がまだ全部揃っていないなどという話は聞いたことがない。 ある意味、ばかばかしすぎる。 そのばかばかしいことがまかり通っているのが、学校英語をはじめとする語学教育の世界である。 何らかの言語を習得しろということは方程式を解けというのに等しい。それなのに、必要な式を全部用意していない。 それで式が解けるわけがない。 むかしは何語を勉強するにも、必要な式が手に入らなかった。 しかし、時代が変わった。今はそれが手に入るようになった。 これで式が解けなければウソである。 ただ、今の若い人がむかしと比べて見違えるほどできるようになったようには思えない。 式の解き方を教える人がいないからだ。そして、それ以前に言語が方程式であることを教える人がいないからだ。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008年10月19日 19時12分42秒
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