テーマ:障害児と生きる日常(4433)
カテゴリ:障碍児の保育園生活
今日も朝から小学校で付き添い。
12時半に帰ってきて、給食はまだなので、娘に昼食。 次の日の準備を一緒にして、そんなこんなでもう2時半。 3時半が耳鼻科の予約なので、あっという間にまた出発。 この後、息子を迎えに行けば、あとはいつもの怒涛の夕方~夜コースで、 またたくまに一日が経ってしまう。 娘の耳鼻科が終わり、疲れを感じながら駐車場への道を歩いていたら娘がいない。 もしかしたら…と思って聖堂へ入ったら、娘はそこでもう席についていた。 このキリスト教系総合病院には聖堂がある。 私たち母娘は信者ではないのだが、なんとなく、この聖堂が好きでよく足を止める。 足元にある台を手前にたおすと膝がつけるようになっていて、 そこにひざをつくと、自然と神様に祈るような体勢になる。 青と赤のステンドグラスを通してふりそそぐ自然な光と、 コンクリート打ちっぱなしの無駄なものがはぶかれた空間。 そこで、私たちはよく会話をする。 2人だと上手く話せない話も、不思議と神様をはさんで3人だと解決することがある。 たとえば、こんな話もあった。 娘がピアノの練習をしたがらず、 だったらピアノをやめろ、やめない、とお互い感情的になっていた時に、ここに入った。 私がわざと娘に聞こえるようにピアノの話を神様にすると、娘は心配そうに、 「…かみさま、なんていってた?」 と、聞いた。 「神様も、今日練習しないと明日はもっと弾きたくなくなるし、 明日も弾かないと明後日はもっともっと弾きたくなくなると、って言ってたよ。」 ここまでは、2人の会話でもしていたことだった。 でも、聖堂だと、何か不思議な力があって、私は自然とこう続けた。 「…でもね。神様はね。『△△(娘の名前)は、そんなことは分かっているから大丈夫。 △△を信じて、いつか弾くときまで見守ってあげてね』って言ってたよ。」 娘は、じっと考えて。聖堂を出て。車に乗るときに、 「△△…うちにかえったらピアノひくわ。」 と、言って、家に帰ったら自分から弾いたのだった。 今日も学校での、着替えが遅い、だの、靴はすぐに履きかえないと、だの、 下敷きで遊ばない、だの、小言だけど、ずっと見ているとイライラする小ネタを、 ぶつぶつ言っていたら、声をかけられて驚いた。 娘にすぐに目がいったので、真横の列に人がいたことに気付かなかったのか。 それとも、後から入ってきたことに気付かなかったのか。 点滴棒に、病棟衣。 初老の女性だが髪にツヤがなく、痩せた様子から、なんとなくホスピスの人かな、と思った。 この病院にはホスピスがあって、ホスピスの中に聖堂もあるのだが…。 「これ…あげますね。」 その手には4つ葉のクローバーが3本、のせられていた。 聖堂の横にはクローバーがいっぱいはえている。 「ありがとうございます。以前、私も探してみたのですが、1本も探せなかったんですよ。」 と、それを受け取った。 彼女は何も言わず、微笑んで会釈をすると、 点滴棒に体重をまかせて、ゆっくりと聖堂を出ていった。 3本あるなら、1本は娘、1本は私、で、1本は彼女でわけあえばよかったのでは… と、ふと思い、聖堂を出て彼女を探したのだが、もう彼女はいなかった。 「これなに?」 「これはね。4つ葉のクローバーといってね。 クローバーは3つしか葉がついてないんだけど、4つあるクローバーもあって、 見つけた人は幸せになれるんだよ。」 「△△、みつけてくる!」 「もう見つけなくて大丈夫だよ。あの人が見つけた幸せを△△とママにくれたから。」 「ふうん、そうなんだ。よかったね。」 「そうだね。よかったね。」 うちに帰って障子紙の残りをひっぱりだし、そっと4つ葉のクローバーをはさむと、 本の間にはさんでみた。 押し花なんてやったことなし、これでできるのか分からないけど、 いつまでも、その4つ葉のクローバーが残っていてほしいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.04.27 02:09:01
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