カテゴリ:インテグレーティブ・コーチング
『選択の瞬間』の質問の9つ目です。
(原文はIs this an act of faith?) 「faith」・・・これ1語だと、日本語にしにくいと感じる言葉です。 信仰という意味でよく使いますし、また信仰を持つことが当然の価値観の場所と、日本では同じ言葉が同じ意味を持てないですから・・・。 (実は自分も含めて日本人はとても信心深いなあ、と思うんですが。) 『選択の瞬間』の文脈から、こんな風にしてみました。 「この選択は「自分は幸福になる」ことに信を置いたものか。 それとも、不安や恐れに操られたものか。」 まずは引用ですが 「多くの人は信念の置き場所をまちがえています。 幸福になるという、生まれつき与えられた権利を信じるのではなく、 苦痛を、過去を、後ろ向きな考え方を信じています。 自分は哀れな犠牲者になると信じています。目標におよばないだろうとか、裏切られるだろうとか、 思いどおりの人生は送れないだろうと信じています。(中略) 後ろ向きな考えや欠点、自信のなさを信じれば、成長し変化して、 本当ならそうなれたはずの神聖な存在として花開く機会を、自分から奪うことになります。」 思考は現実化する・・・本のタイトルだったと思いますが、ポジティブな思考も現実化するし、 ネガティブな思考だって現実化しちゃうわけですよね。 おそらくこれは 「あ、いまおばけのこと考えちゃった。こわいよ~。」というような 一過性のネガティブな(これ、適切な例かな?)思考ではなくて ネガティブな思考を養い育てる、土壌のような部分を指しているのだと思います。 自分がしていることに、どこか ・裏切られるんじゃないのか?という不安や ・うまく行かないんじゃないか?というおそれがあると 例えば人との関係で、不安やおそれを前提に、人の言動を受け取ってしまうことになります。 あるなあ~~。自分で書いてて、思い出しちゃった。 私のあの反応は、「裏切られるかも」不安がベースにあるなあ。 「批判されるかも」っておそれもあるな。混ざってるかもしれん。 私が不安と恐れベースで反応すると、キーっVSキーっの、 ぜひとも関わりたくないやり取りになってしまうわけで・・・(苦笑)。 本当はそんなやり取りにならないで、建設的な、暖かな、たのしいやり取りになりえたかもしれないのです。 ああ、もったいない!! で、 今の私は、これらの「不安おそれ」から、まあったく解放されてません(笑)。 どっさりかかえてます。 だけど、不安おそれ起因の自分の反応と、 自信や「なんとなく、うまくいくって思う」に信をおいた反応との、区別はつくようになりました。 よって、 自分の言動を、「自信に信をおいたもの」で満たそうという努力はできます。 この選択は「自分は幸福になる」ことに信を置いたものか。それとも、不安や恐れに操られたものか。 あ、いかん。今「不安」に乗り移られてたわ。この着ぐるみ脱いで、 「アタシは幸せ!」の旗振りながら、もういっぺん考えよう・・・という具合。 最初っから全部うまくはいかんけど、ひとつでもふえたら、ええねん。 (↑後ろでウルフルズの「ええねん」がかかっています。すぐ影響される・・・) 思考は現実化しちゃうのだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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