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ディアナ号(Russian frigate Diana)は安政東海大地震による津波に遭い、Putyatin(プチャーチン)率いる船員と下田・戸田村民の助け合い、静岡県沼津市の戸田造船資料博物館の資料によると約500人の乗組員で戸田に2日間かけて到着したそうなのです。
その後、安政東海大地震の影響で各地に火山などもあったにもかかわらず、Putyatinと戸田村民でロシアカムチャッカ半島(Kamchatka)へ帰航するため代船を完成し約60人乗りのヘダ船と159人を乗せたアメリカ船でロシアに戻り、さらにドイツ船で約300人もロシアに向かったというのです。この間ロシアはクリミア戦争化下で非常な状況。 明治に日本で活躍し、功労された外国の方々を検索していました。 ジェームスぺイトン号について詳しい資料を浜松市のホームページにみつけ、相次いでディアナ号についても富士市で昭和29年と51年に錨を引き上げ日露友好150年をすでに平成17年に記念されていると知り、海外からの功労者の方々によって深く友好関係にあると再認識しました。 日露友好の記事掲載を含む、富士市ホームページをリンクさせて頂きます。 エフィム・プチャーチン(Putyatin)、ディアナ号、安政東海地震などについて日本語Wikipedia参考にさせて頂きました。 静岡県沼津市の戸田造船郷土資料館のホームページも参考にさせて頂きました。 下田市爪木崎公園のブーゲンビリアの写真をアップさせて頂きます。 南伊豆はアメリカ船やロシア船の各国(アメリカ、ロシア、中国、ノルウェー、デンマーク、クロアチアなど)からの乗員で開国の頃に非常に国際的だったのではないでしょうか。 日露友好162年(Russo-Japanese Freiendship), ペリー来航日米交流159年 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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