義父の葬儀ドキュメント(その3)
義父(ヨメっこの父)の8日間にわたる葬儀ドキュメントもいよいよ最終日。棺をお寺から火葬場にお連れする前に読経が行われますが、義父のお兄様をはじめウチのヨメっこも大泣き。本ブログで過去に何回か親戚の葬儀のようすを紹介しましたが、タイの葬式では誰も泣かないのはなぜ?タイ人の死生観は日本人と根本的に違うの?と思っておりましたが、今回葬式でタイ人が泣くのを「初めて」見ました。きっと今まで参列してきた葬式でも、どこかのタイミングで家族や親族は「当たり前に」泣いていたのでしょう。このとき前日までお堂の外で一般弔問客とともにお経を聞いていた義母がはじめてお堂の中で参席しました。あれっ?と思いましたが、棺は外に運び出したあとなので、この方が適切なのですね。そういう場にも前夜の「田舎楽隊」が再び登場。例のブサイクな女装にーちゃんは、さすがに日中に見るのは厳しいモンがあります。それにしても凄い数の参列者。数えてませんが400人ぐらいは来てそうです。よくこの田舎寺にこんだけの数の椅子があったもんだ。あと違和感を覚えたのが、「宝くじ」商のオッサンが葬儀会場内で商売を始めたこと。実はその数日前に家族・親族や関係者の間で、故人の「享年」にちなんだ番号の宝くじを買おうと盛り上がり、見事に末等は当たりで、最高「10,000バーツ」をゲットしたひとまで出ました。当たったひとがお坊さんってのが笑えますが、戒律的にそれっていいのか? まあ働き者だし人格者なんで許してやりますが・・・(笑)台車に乗せられた棺を全員で一本の綱で引いてお寺を出て、田舎道を火葬場に向けて行進です。雨季というのに葬儀の期間中はほとんど雨が降らず、最後までつつがなく進行することができました。これも故人の人徳によるものでしょう。田舎楽隊もピックアップの荷台に乗って行列に後続してくれます。前回説明した通り、義母(妻)は火葬場にも同行せず、家で待機です。しきたりなので仕方ないとはいえ、ホントこれは切ないねえ。火葬場に着くと、主だった弔問客からの香典の「贈呈式」が行われ、棺と遺影をバックに「記念撮影」です。これも日本人から見ると違和感を感じる習慣ですね。棺は火葬台に載せられ、そこで故人のお顔を拝見し、聖水をかけて献花をします。持病もちとはいえ普通に生活している中で急逝されたので、まるで寝ているだけのような穏やかな表情でした。ここでは家族・親族だけでなくご近所の面々も泣き出します。お顔を見てしまうとさすがに「最後のお別れ」を実感せざるを得ないですからね。最後は神輿に仕掛けられた花火が華やかに炸裂し、薪に火がついたところで葬儀は「お開き」です。火葬場を出るときはお清めの聖水に手を浸します。タイはお墓を作る習慣が基本ありませんので、お骨は翌日早暁にお坊さんが集めてくれて、なんと「打ち上げ花火」に仕込んで「散骨」しました。んまあ、なんと「パッと散る」という表現がピッタリと思うほど、義父らしい潔い生き方を象徴しているようでした。「そこにワタシはいません♪」と歌った曲がありましたが、故人の身体は空と土に還って、魂は来世へ向けて転生していくという考え方なんでしょうね。さて、8日間+αという長丁場の葬儀を終え、心配なのは残された義母の方です。ご近所の往来が激しい田舎とはいえ、長く夫婦ふたりだけで仲睦まじく暮らしていただけに、喪失感は相当のものでしょう。葬儀の疲れとかいわゆる「燃え尽き症候群」にもなるでしょうし、連日多数の弔問客に囲まれていたのをいきなり「ひとりぼっち」にさせられません。義兄のところと我が家で交替で暮らしてもらってるのですが、「お父さんが家に帰ったときに私がいてあげないと・・・」と言って実家の方に帰りたがるのは困ったものです。葬儀では夫婦の縁を切るような儀式で送り出したはずなのですが、そうはいっても「ひとの心」までは切れませんからねえ・・・タイ人の死生観やら田舎コミュニティの「絆」について深く考えさせられた8日間でした。習慣やしきたりの違いはお国それぞれなので、日本がいい、タイがいいなどと論じることに意味はありませんが、家族・親族・地域が外部サービスに頼らずに「協力」で運営していく姿は、今の日本社会ではできるのかなあ・・・と、そこだけは羨ましく感じました。(おわり) にほんブログ村 人気ブログランキングへ