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カテゴリ:育児(長男TOMOについて)
今日は、昨日や一昨日ほど激しく、長男を「可愛くない」とは思わなかった。
可愛くてたまらない・・・・とも、思えなかったけれども。 ちょっとホッとした。 本当に、ちょっとだけ。 実家にいるとき、私はいつも「この家にとって私は余分だ」と思っていた。 まるで不良品のジグソーパズル。 全部組上がったのに、何故か一つ余った要らないパーツ。 組上がった絵が羨ましくて、なんとか中に入り込もうとするけれど、それは完成したパズルを破壊するだけで・・・。 友達といても、そうだ。 周りが盛り上がっていれば居るほど、溶け込めなくなる。 自分がそこに居ることに、違和感を感じてくる。 楽しいけれど・・・だけど私がここにいなければ、他のみんなはもっと楽しめるのではないかしら? 常につきまとう、そんな不安。疑問。 自分の家族を持てば、こんな感覚は消えるかと思った。 自分が居なければ生きていけない、小さな存在・・・自分にだけ伸ばされる、手。 でも・・・それは錯覚だった。 私なんかいなくても、子供達は生きていける。 優しい祖父母がいて、優しい父親がいて・・・ご飯を炊いて洗濯するのが私の役目なら、そんなものは家政婦にでも任せれば済むことだ。 私でなければならない理由なんて、どこにもない。 むしろ、我が子を愛せないような母親ならいないほうがマシだろう。 夫にしても、連日喧嘩ばかりしているような嫁には、いい加減うんざりしてるだろうし。 でも・・・だからといって、本当に荷物をまとめて、この家から出て行く勇気なんてない。 死んだりする勇気はもっとない。 だからときどき、考える。 事故にでも遭っちゃいたいな・・・・と。 私を、消しちゃいたいな・・・・と。 離婚なら体裁が悪いが、死別なら夫の再婚には何の問題もないだろう。 優しい後妻さんが来て、子供達も実の子以上の愛情を注いでもらって、みんな幸せになって目出度し目出度し。 ・・・・・・と、ここらへんまで考えて、いい加減馬鹿馬鹿しくなって、思考を止める。 さて。 洗濯しなきゃ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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