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秋月春風  ブログ版

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2006年07月09日
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カテゴリ:日常雑記
 毎年直前まで憶えているのに、当日になるとすっこんと忘れてしまう。
 そして数日間思い出さずに過ごしてしまい、はっと気が付き自己嫌悪。
 自分の薄情さを呪う。
 7月2日・・・もう一週間も過ぎてしまった。
 ごめんねポンタ、今年も私は忘れてしまった。
 あなたの命日を。

 ポンタと逢ったのは中学2年生の時。
 友達と一緒に他のクラスの後期学級委員を務めていて、朝会か何かで自分のクラスメイトを整列させているときに、先頭に立つ私を見て「うわー、ちいさいなー」と呆れたような声を出されたので、頭に来て向こうずねを蹴り飛ばした覚えがある。
 それから半年経ってクラス替えがあって、私とポンタは同じクラスになった。
 この3年のクラスというのが、私にとっては最低最悪の場所だった。
 親しい友達と一人も同じクラスになれなかったのだ。
 母は新たに友達を作れば良いと言ったが、クラスの女子の顔を見回す限り、それはどう考えても無理だった。
 よりによって、学年でも特におませな女の子が集まり、話題に上るのは男の子がらみのちょっとエッチな話かアイドルやトレンディードラマの話ばかり。読書や漫画やアニメが好きな私とは、根本的なところで話が噛み合わなかったのだ。
 特別いじめを受けたり無視をされたりということはなかったけれど、うっかりするとクラスメイトと一言も会話を交わすことなく過ぎる一日もあった。学校に行くことが苦痛になり始めた。
 ちょうどその頃、席替えがあった。
 ポンタと隣り合わせになり、私達はすぐに仲良くなった・・・といっても、男女間に芽生える感情というよりは、同い年の従姉妹とか兄妹とか、そんな感じに近かった。
 お互いに軽口をたたき合い、得意科目を教え合い、二人して低空飛行だった数学に頭を抱える日々は本当に楽しく、一日の不登校も無く卒業まで過ごすことができたのは彼のお陰だったと、今でも心底感謝している。
 
 卒業後は同じ高校に進んだものの、選択の違いとかもあって一度も同じクラスになることはなかった。それでも時折廊下ですれ違えば
「ちーび」
「だまれ狸、お前こそ動物園に帰れ」
等と軽口を交わし、時には真剣に進路のことで話あったりした。
 彼は誰がどう見ても文系向きだったのだが、建築士だった父上と一緒に仕事をしたいという夢を捨てられず、理系に進んだ。その進路選択の際、彼の担任だった教員に呼び出されて「君からも何とか説得してくれ」と言われたものだが、まぁ無理だろうなと思った。そしてやはり彼は意志を曲げなかった。いつも穏やかに微笑んでいて、当たりの柔らかな印象が残っているけれど、いざというときには恐ろしく頑固なところがあって、決してこちらの意のままに首を振ることのない人だった。

 結局浪人しても希望の大学には進めず、彼は専門学校を経て建築関係の会社に就職した。
 学生時代から就職後も、一ヶ月が二ヶ月に一度くらいふいにポンタからの電話が鳴り、お互いの近況を報告しあったりしていた。
 滅多に愚痴や弱音を言わない人だったが、就職して現場を任されるようになったころから、時折精神的に疲れるようなことをぼやくことがあった。当然だろう、うっかりすると自分の親よりも年上の職人さん達に、上司として指示をだしたりしなければならいのだ。職人さん達と良い関係を築くためと、良く一緒に夜遅くまで飲んだりもしたらしいし、自分が休みの日でも現場が動いていれば、差し入れを持って顔を出していたと聞く。他県の現場を任されると、月単位で家を離れたりすることもあった。
 
 そんな生活が、少しずつ少しずつ彼の命を削っていったのだろう。

 13年前の7月2日・・・この日は土曜日で、私は午前勤務を終えた後で市の中心部にある大型スーパーやデパート、書店をハシゴして、夕方遅くなってから帰宅した。非常に珍しいことに、母が家の外まで出て私の帰りを待っていて、「どうしたの?」と暢気の声で問いかけた私に厳しい表情で彼が亡くなったと告げた。
 冷水をあびせられたような・・・とはあんな感じのことを言うのだろうか。
 汗が流れ落ちるような陽気のなか、私の周囲だけ空気が凍ったような感じだった。
 死因は心不全。
 先に休む・・・と、一足先に布団に入り・・・次に誰かが部屋に入った時には既に、呼吸をしていなかったのだという。
 
 その日はそのまま、部屋にこもって泣き続けた。
 泣いても泣いても、涙が止まらなかった。
 二人ともうんとうんと歳をとって、80を越えても、縁側でお茶をすすりながら
「ちび」
「たぬき」
と言い合えると、信じて疑うことがなかった。
 それなのに、さっさとあの世へいってしまった彼が、本当に恨めしくて恨めしくて・・・。
 置いて行かれてしまった・・・・・・それが悔しくて、泣いた。

 翌日、告別式に赴いて、そこでも私は涙がとまらなかった。
 あまりに彼らしい表情の遺影も、本当に眠っているだけのように見える死に顔も、何もかにもが哀しくて切なかった。
 ご家族のご厚意で、火葬場にも同行させてもらった。
 病気も殆どしなかった彼の遺骨は、本当に綺麗に形を残した。あまりに形良く残って骨壺に入らず、わざわざ砕いたりしなければならない程だった。それをみて、また涙がこぼれた。まだまだ死ぬはずじゃなかった。死んでいい歳じゃなかった。なんで死んじゃうのよ。馬鹿じゃないの?
 だけど私の脳裏に浮かぶポンタは、自分の早すぎる死に怒るでもなく、嘆くでもなく、
「あれー?」
かなんか言って、困ったように頭をぽりぽり掻いて、
「ま、しょうがないかー」
とさっさとあの世への門をくぐっていく・・・そんな姿だった。
 そうだよね、あんたはそういう奴だよ。
「ごめんね」
そう苦笑いして、手を振る姿が見える気がした。

 それから2年くらいの間は、時折電話の音に
「ポンタかな」
と、思って顔を上げては、それはもう二度とあり得ないのだと横に振る・・・というようなことが続いた。
 時を経る打ちにそんなこともなくなり、子供が生まれてからは毎日の生活の中で命日を忘れる年が増え、良くも悪くもそれだけの年月が過ぎ去ったのだと思い知る。

 11回忌が過ぎた夏の秋口、偶然彼の妹さんと街中で逢った。
「今年、11回忌だったよね」
と言ったら、
「憶えていてくれたんですか」
と驚いたように目を見張った。そして、彼のお母さんが「大々的に法事をするのは、これで終わりにする」と言っていることを聞いた。
「やっと踏ん切りがついたみたいで」
私は黙って頷いた。
 お母さんもお辛いだろうけれど、でもこれでやっと、彼が本当に成仏できるような気がした。
 あの世の先の、次の新たな人生へと歩いていけるのではないかと思った。
 
 ・・・・・・じつは次男は、妹さんにあった直後に身ごもった子である。
 そして次男が産まれた時、くりくりの二重の目を見てまず連想したのは、ポンタの顔だった。
「・・・・・まさかね」
 そう思った日から3年。次男は今日、3歳になった。
 食欲魔神でクラッシャーで、気の強さも一倍・・・という次男の性格はどちらかというと彼とは正反対なので、やっぱり生まれかわりなんてことはないだろうな・・・と思いつつ、もしかしたら年子三人兄弟の長男で、小さい時から「優しいお兄ちゃん」として生きてきた彼が、今度は次男の末っ子として、思い切り羽目を外して人生我が儘に過ごす気でいたりするのかな・・・等とも思う、今日この頃である。
  
 





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最終更新日  2006年07月09日 10時31分03秒
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