早朝から電話のベルが鳴っている。
時計を見れば、まだ6時半。私はまだベッドの中。
留守設定にしているため、すぐに録音テープに切り替わった音がベッドルームにいる私にまで届く。
「こんな時間から、いったい誰?」
苦々しい思いで誰だろうかと思い巡らす。こんな早朝の電話は大抵日本からである。時差がよく分かってないか、この時間ならもう大丈夫と思っているのか。
あの人だろうか、それとも夫・・・?しかし、夫がこんな早くから?
電話は何度も何度もかかっては録音テープに切り替わる。
あまりに煩いのでさすがに寝ていられず起き上がった私は、電話のおいてあるキッチンまで行き、録音テープを確かめた。
「もしも~し!電話に出て~!」
夫の声だ。もう!なによ。こんな早くから。
テープを止めるやいなや、再び電話が鳴った。
私がわざと眠たそうな声で応答すると、夫はお気楽そうな声でこう言う。
「よく聞いて。今日これからすぐ空港に行って、アンカラに行ってきて。
飛行機の時間は分からないけど、席くらいあるでしょ」
それを聞いちゃあ、寝ぼけてなんていられない。
目がカッと開き、私の血はまた逆流しそうになる。
「なに言ってるの!?急に言われて、急に行けるわけがないでしょ。
子供たちの学校があるし、今日はエミのバトミントンの練習もある。何時にどこに迎えにいくか、迎えた後どこで預かってもらうか、全部手配してからじゃないと出掛けられないんだから、今日は絶対ムリ!明日行くから」
私は一気にまくしたてた。
そう。日本でのある手続きのために、アンカラの日本大使館かイスタンブールの総領事館で発行される書類が必要だとのことで、先週来、夫をはじめ手続きにかかわっている人から何度か催促されていたのだ。
が、諸事情を考えると、今週末、せいぜい金曜日にしか出掛けられそうもなかった。私はその予定で、飛行機の時間も、書類申請に必要な証明書類の内容も、週が明けたら確認するつもりだったのだ。
諸事情とは、例えばこんなこと。
先週はデミルジ(鉄屋)がモンテ(モンタジュ・取り付け)に来る予定だった。
ところが例によって、「あともう少し」「あと扉だけ」と引き伸ばされ、「では月曜日には絶対」と念を押したはずなのに、土曜日しかも午後4時過ぎてから電話がかかってきて、扉のデザインのことで見て欲しいから、これから来て欲しいと言う。ところが外は生憎の驟雨。子供たちも学校が休みで家で寛いでいる。
結局行くのは諦め、月曜日午前中に行くことにしてあった。
今週、できればデミルジとの打ち合わせを済ませ、モンテも完了してから アンタルヤを留守にしたかった。
それとはまた別に、3年生になってから週3回、学校でバトミントン練習が始まったエミの、学校対抗戦第1戦が20日木曜日から始まる。
普段、練習の場所は学校の室内競技室か、サバンジュ・スポルサロンかだが、どちらになるかは、その日になるまで分からないことが多い。
サバンジュ・スポルサロンの場合は、父兄が自分で迎えに行かねばならない。なので練習の日にあたっていれば、誰かに迎えに行ってもらうための手配もしなければいけない。
などなど。。。
それに、飛行機の時間や空席の有無以前に、その書類手続きがイスタンブールでもできるのか、アンカラまで行かねばならないのか、それを確認する必要があった。
イスタンブールなら便数が多いし、民間航空会社の割安チケットも手に入る。が、アンカラ行き直行便はトルコ航空の朝1便、夜1便のみ。料金も高い。できればイスタンブールが望ましいのだが・・・・。
いずれにせよ、書類申請に必要な証明書が揃っていなければ、イスタンブールにしろアンカラにしろ、わざわざ飛行機代をかけて飛ぶ意味はないのだが。
今日はまず、朝一番、9時半の開館に合わせて総領事館と大使館に電話し、手続きはどちらで行うべきかと、必要書類を確認する。そして場合によっては、ムフタル(地区長)やヴァリリッキ(県庁)に書類を発行してもらいに行くことになる。
イスタンブールかアンカラか分かった時点で明日のチケットの手配。
これらの準備が整った後で、エルカンに車の運転をお願いして約束のデミルジに出掛ける。
デミルジでの打ち合わせが終わったら、セネット(約束手形)の支払いのため、市中の銀行に行く。
そして、銀行から帰り子供たちを学校から連れて帰ったら、私にとって一番大変な大掃除!
なぜ大掃除かって?
いつ帰れるか分からない私に代わって、子供たちを学校に迎えに行ってもらい、宿題の面倒や夕食づくり、寝かしつけ・・・これらを全部夫の義弟エルカンがしてくれることになったから。
いや。実を言うと、いくら親戚とはいえ、夫もいない、しかも普段散らかし放題・汚し放題にしている自宅で、私の留守中に男性に家を守ってもらうのは、私は絶対にイヤ!だった。留守中に冷蔵庫を開けられたり、パソコンを使われたりするのも、慣れたとはいえ、本音をいえば嫌なのだ。
エルカンの義弟、叔母のいる家に連れていってもらい、夕食もそこで食べさせてもらい、エルカンが私を空港へ迎えに来る時も面倒を見てもらえば・・・そう思ったのだが・・・・。
それにはエルカンがまったくいい顔をしなかったのだ。
普段居候をしている弟宅に、これ以上迷惑をかけられないということもあるだろう。久しぶりに娘たちに会ってお喋りしたいという気持ちもあるだろう。あるいはパソコンを自由に使いたいという気持ちもあるだろう。
「ワッラー、君の家のほうがずっといいと思うよ。あとは君の決断だから、向こうの家に連れてけって言うならそうするけど」
そう言われては、無理強いはできなかったのだ。
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確認の結果、在留届もまだ出していなかった私は、管轄のアンカラに行かねばならないことが分かった。
必要な証明書は、パスポート、戸籍謄本、もしくは運転免許証など日本で通用する証明書類、イキャーメット・テズケレスィ(滞在許可証)の3点のみ。
アンカラと分かった段階ですぐにオンラインチケットを購入。アンタルヤ~アンカラは、朝1便、9:20発(TK0463)のみ。オンラインだと、たった3YTLだが割引があり、116YTL(約1万円)である。
一方復路のアンカラ~アンタルヤ間に関しては、いつ書類が下りるか、いつ大使館を出ていつ空港に着けるか皆目検討もつかなかったので保留にしてしまったが、これが失敗だった。
実は私、アンカラの大使館に行くのも、大使館で書類を発行してもらうのも、これが初めてだったのである。一刻でも早く、子供たちが寝付く前に、アンタルヤの自宅に戻りたい。エルカンは放免し、自宅でゆっくり親子3人で眠りたい。アンタルヤに少しでも早く着けるなら、イスタンブール乗換えでも、多少割高でもかまわない。
そんな思いが判断を狂わせ、夜1便のみの直行便の予約をするのを控えてしまったのである。予約くらいしておけばよかったのだが。。。
デミルジとの打ち合わせも、銀行での支払いも、ピッタリ予定時間内にこなした私だが、これだけは苦手な大掃除と片づけを終えられたのは、深夜1時にもなろうという頃だった。