国や宗教が違うと争いは絶えない?
またまた太田総理の番組ですが・・石破防衛大臣のお言葉に疑問を感じました。「絶対に争いのない世界は来ない」、ということを断定するために、「国家や宗教・価値観が違うもの同士が仲良くできるはずがない」、ということを述べておられたようにお見受けしました。では、なぜ、それらが違うと仲良くできず、争わなくてはならないか?その論拠は示されないままでした。いや、今までの世界がそうだったとおっしゃりたいのかもしれません。が、もしそうなのだとしたら、それは”変えて”いけばいいことだし、そのために政治があると言ってもいいくらいのものだと考えますが?・・・いつまでたっても争いはなくならない、と断言したら、それは政治家として恥ずかしいことでは?争いはなくならないから、いくらかでも自国の利益を追い求めるのが政治家の仕事、と言いたい?(しかし、世界に争いのある限り、自国の民も守れないのだということはどうしてくれるのか?知ったことではない、のでしょうか?)争いはなくならない、という前提のもとでは平和を構築しようという熱意は感じられません。なぜ、宗教や国や価値観が違うと殺しあわなくてはいけないの?宗教も国も、価値観も、たまたまそこに生まれたからという要素が大きいのであって、絶対的なものではないと思います。たとえば宗教一つとってみても・・・たまたま日本に生まれたから、無宗教もありですが、これが一神教の国で生まれたのであればその宗教を信じる以外道はない、というようなものだと思われます。自分が生まれた場所によって人生しばられる・・・それだけならいいですが、別の宗教を信じる人たちと争わなきゃならないなんてことでは縛られたくはない、ものです。どんな宗教を信じていようと、同じ人間です。地球上の運命共同体、と言ってもいいと思います。もし、地球が明日は住めなくなるような状況になることを”共同の行為”によって防げるのだとしたら、”争っている場合ではない”、ということを理解できないわけがない。と思います。争いが何によって生まれているか?実は宗教とかそんなものじゃなく、このままでは生活できない、生きていけない、という切羽詰ったところから始まっているのだと思います。エネルギーの奪い合い、富の圧倒的な偏り、経済闘争、そういったものをなくすことができたら・・・・・争いのない世界も夢ではないと思うのです。みんなが豊かに生活できるのであれば、宗教対立なんて起こすのがばからしくなる、というか、宗教そのものがいらなくなる、ように思います。