テーマ:ブログ20年!(86)
カテゴリ:懐古趣味的生活行為
そんなこと、(2億円の差―生涯所得)誰も教えてくれなかった・・。 と、つぶやかれたのが印象に残ります。と、 朝日新聞の記事へのコメントで、あるジャナリストが書いておられた。 均等法以前の世代の方である。 あたしは、以前も以前、の方である。 誰も教えてくれないのは、基本のき、だった。 この朝日新聞の記事は、夫婦がともに、お勤め、の前提だ。 働き方は、いろいろある。賃金もしかり。 だから、 2億円、(の差)はあくまで常勤の、会社員として、働いた場合、という条件が付く。 だからパートなんでしょ。 とか、空いてる時間だけの内職なんでしょ、とか これとて、、 雇われる、という前提。 夫の母は、(すでに揃って鬼籍)玉の輿?と思いきや、 お見合いで結婚した相手が、全く働かない夫であったので、 (働く、という概念が無い家庭、もあり得ますよね、、昔だと。だけど、 社会は戦争とか、災害とかで状況が変化しますよね) 自分が働きに出た。当時、3人で始めたばかりの会社の事務として。 会社の場所は丸の内だったそうだ。 夫が、中学生になるかならないか、という時代であるので、 昭和30年代の初めかしらね。 津田で、英語を学んだ彼女は、水を得た魚のように仕事に邁進し、、 (と書くとなにやら朝ドラみたい) 夫の生家には、お手伝いさんがいた?いやいや、何やら育児放棄?っぽいが、。 彼女は、正社員として働き続け、結局その会社は、一部上場の大企業に育った。 あたしが、初めて東京の夫の実家を訪ねた時には、お手伝いさんは 居たのだ。(この夫の実家、は義母が嫁いだその家、とは場所は違うのだが・・ややこしい) 〇〇さん、(義母の会社の社長-後から社長と知る)という人の名前が、頻繁に彼女の口から出て、??と感じたのを覚えている。 すっかり当時、会社人間であったのだ。義母が! 時代が過ぎて、、義妹がまた、ある時言ったこと、忘れられない。 彼女、交通事故で、ひどい怪我をして、入院し、ICUに入っていた。 当時、結婚して子供がおり、義母にすれば孫であるが、 その時丁度、義母は、欧州に出張中だった。 わたしが、そんな状態だったのに、ママったら、帰ってきてくれなかった。 この、恨み節は、事あるごとに聞かされた。 3人から始めた会社を、一部上場まで育て上げた、その核となる人物の一人、 であるにせよ、女性であったので、さまざまな出世の機会を逃している。 課長になり、部長になり、とは、、そうは問屋が卸さぬ。 突発性難聴になったことも、あったなあ・・。 それでも、部長待遇にはなったんだっけ・・。 結局、定年退職はせず、机は保持して、75歳まで、勤め上げた。 義母が70歳を越えたころ、今のお仕事は?と聞いたことがあって、 郵便物の整理係よお、、と、笑ってた。 そんな女性を母に持った夫である。 それでも、、 あたしの仕事に関しては、冷淡であった。 ただ、少なくとも、あたしが、シゴトをする、という局面に対しては、 反対はしなかった。 結婚を決めた時の条件、、というとあたしも冷たい?のかもだが、 働く母を持つ人、というのが、やはり譲れないなあ、と、 考えたことは確かである。 働こうにも、(子供がいると)どうにも動けない、というのが、 当時の子持ち女性の状況である。 そこで、実母の出番、や、なんやかや。があるが、、それこそ、 すでに母がいないあたしは、誰も教えてくれなかった。のだ。 自営業としての道、を選択する。 何でも自分で背負うので、 ハチャメチャに忙しかったが、健康に恵まれてなんとか過ごした。 何でも自分で背負うので、 言われるとおりの労働を他者に提供する、という道ではなかった。 何でも自分で背負うので、 リスクは当然生じる。失敗もした。 何でも自分で背負うので、 だから、、2億円には、程遠い。 程遠い。どうかすると、、計算してないが、、マイナスかもだ。。 (ま、それはないで、、とは思う) 程遠いが、、得たものは、、得たものは、、プライスレスだと 思っております。ハイ。 感謝! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年05月16日 06時53分52秒
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