カテゴリ:懐古趣味的生活行為
9階建てマンション建設反対運動、ってのを、 40年以上前にやったんだった。。と、思い出していた・・。 数日前のニュースで知ったのだが、 国立市の積水ハウスのマンション、ほぼ完成の後、取り壊すことになり、 大方の第三者のコメントは、他に大きな問題があるから、(言い訳に景観、を使ってる)との 論調である。あたしは、いいや、そうじゃない。これは本当に大きな問題なのだ。 と思う。 そうそう、という記事が出たので、ご紹介しておきます。 業平橋渉(フリーライター)さんの記事より以下→ 国立市の経験は、開発と保全のバランスを取ることの難しさを如実に示している。また、ビジネスと地域社会の新たな関係についても疑問を投げかけている。社会の多様な価値観をどのように調和させるのか。国立市の苦闘は、日本の「成熟」の物語とも重なる。 アイデンティティーを失った存在は機能的で合理的であっても、からっぽである。ノーベル文学賞候補となり、今でも海外で広く読まれる作家の三島由紀夫(1970年没)は、今から54年前に「果たし得ていない約束―私の中の二十五年」という随筆で次のように書いている。 「このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或(あ)る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」 もはや「富裕」「経済的大国」であることすら怪しくなってきた日本で、さらに「からっぽ」が進んだらどうなるのか。国立市の件に限らず、景観とアイデンティティーは深く結びついているのだ。 引用以上。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月14日 08時02分16秒
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