カテゴリ:芸術的生活行為
癲狂院日乗 [ 車谷長吉 ] ミニシミテ [ 田中 泯 ] 共に読了。 く氏の場合は、御連れ合いの高橋順子さんがおられなければ、 日の目を観なかった。 た氏の場合は、オドリ、が彼に無ければ日の目を観なかった。 でも、結果、一読者に届いている。 コメが買えない、となれば、必死のパッチで子供の所に送ろうとする。 母は、母というものは、自然とそうなるのだ。 昨夜、コメを炊こうとして、ウチのコメが全くない事に気がつく。 所望すれば、すぐ手に入るので、それはそれでいいのだが・・。 売る方も、おそらく、お分かりだろう。 衣服を買わない暮らしになって随分となるが、こないだ、 ワンピースを作ろうと思って、 (手持ちの生地を探して、息子が、高校時代に、知り合いの大学の先生に勧められて インドに、木彫体験をするために旅をしたことがあり、その、 お土産に、かの地のショールを(大判)あたしにくれたのがあり、) これで作ろうと、決めて、 内職しているしさんに声掛けした。 しさんは、プールのお友達。 あたしは、すべて端折って言ってしまうので、 ちょっと、着いてくるのが??だったしさん。 結局、ウチのダイニングテーブルに、その生地を広げて 彼女の制作したパタン(紙)を広げて、 話し合う事になった。 彼女の質問は、あたしをブティック時代に引き戻してくれる。 いろいろやってると、、ネクタイ2本で作ったベストが出て来て、 それは、あたしが9号体型の時に作ったのだが、そして、自分でも気に入って 思い出に取っておいたものだったけど、今ではとてもじゃないが 着ることが出来ない。(前が合わない) 差し上げる、というと、今度の作成費は要らない。と、感激してくれた。 要らない、などとは到底受け入れられないので、 なんとか収めようとは思うが、評価してくださったことにはこちらが、 感激した。 でも、しさん、早速次回、洋裁学校に着ていく!とはしゃいでいる。 それはそれは、、光栄なこってす。 上記2冊の本もそうだが、 表現というものは、、(人間の表現、この場合は芸術的、としても、) 伏線の、結果、しか見えないものだが、 まことに、氷山、そのもので、 表に出るのは、一割、みなそこ(水底)が、9割、なんだよねー・・。 昨日は白露。白露だぜ。 朝夕には、こちらの方では、その片鱗を伺うことが出来る。。だけだけど。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月08日 06時34分27秒
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