カテゴリ:懐古趣味的生活行為
本当に久しぶりに、友達から電話があった。シゴトの固定電話の方に。 コロナ禍以前、奈良のハープ奏者さんとそのお連れ合いのギター奏者と、 友人と3人で、田舎暮らしの我が家を紹介がてらに来てくれたのが 直近という、、ポツポツ連絡のお付き合いだ。同い年、つまり 団塊の世代同士。半世紀に及ぶお付き合い。 一時間近く、電話で話した。 彼と出会ったのは、1973年8月の欧州行きの飛行機の上である。 すでに当時、あたしは、亡夫と恋愛中であったので、 十数時間近くの席にいたことだけで、同じ大阪からの旅行者として、 おしゃべりをしている。自己紹介から、出身から、旅の目的から、。など。 彼の目的は、スペインのマドリッドに行き、ギターの事を研究したい、 というものだった。すでにかなり演奏技術もありそうな、、 (この時は聴いていない、ハナシだけ、後日聴くこととなる) 感じの、好青年。シュッとしてね。でも、めちゃ大阪弁が、 雰囲気を壊していたっけ。 スパニッシュギター、のお勉強とは言え、欧州を回りたいとの 話もあったし、 あたしはあたしで、一か月の、建築関連の団体旅行に参加後、 スピンアウトしてデンマークに行き、 アカデミーの試験にチャレンジし、、とかの 話もした。(この時点では、アカデミーに合格するかどうかは未定。) でだ。 確か10月ごろ、、そのあたしが合格した王立アカデミーのキャンパスに、 彼が突然、現れたのだ。 驚く。 持ち前の笑顔を振りまいて、たちまち、クラスメイトとも仲良しになる。 大阪の下町、恵美須町の町工場の2代目さん。 ということがその時、分かった。 また、欧州の北から南にあてどもない旅を始める前、 コペンハーゲンでは、クラスメイトのレオネルと特に親しくなって、 ずっと寮に泊めてもらってた。 そんな、共通の思い出のある友人である。 以来、長いお付き合いとなった。 彼のお父上が亡くなったときは、お葬式に夫婦で出向いている。 神道のお葬式だった。 お父さんの会社を継ぐことになり、社長になりと、、 でまた、かなり神経を使い、特殊技術が必要な、そういう仕事を 継いだもんだから、懸命に己がなりわいに没頭する日々で、 取引先が北摂にあったので、よく我が家にも立ち寄ってくれ、 ひたすらおしゃべりをして、子供たちとも親しくなり、、と わさん、という人は、、楽しい人だね、。などと、 家では話していたものだ。 彼が60歳になる前に大病を経験し、その時は電話で、お見舞い。 篠山に来てからも何度か訪ねてきてくれて、 こだわりのギター談義、クルマ談義、あたしが、自営業、ということもあり 彼の仕事は製造業ではあるが、シゴトのことも 沢山話した。 で、直近の会合?は、その、ハープ奏者ご夫婦と来てくれた、 コロナ以前、まだ、義母の介護中であったか・・。(と遠い目) なので、 本当に久しぶりで。 お互い、中年も忙しかったけど、老年の入り口も忙しかった、 というわけだ。 さて、後期高齢者になって、彼の言う事。 もう誰もおらへんのんや。(現役として社会に参加する) あー、そうなんや。 この辺は、農家のひとら(人たち)はまだまだ、頑張ってるよー。 てか、、そういう人だらけやし。 あんまり、周り見渡して、しんみりすることないわなー。 とか、あたしは答える。 そっちは、年寄りだらけやろ、そらそうなるわ。 いや、真面目な話、ホンマにだあれもおらへんのんや。。 もうぼちぼち、、(家業を)閉めよかと、思てる。 (息子さんは家業を継いでないサラリーマン) そうでっか。。 ま、お大事にねー。 (電話のテーマは、熱中症にかかって、大変だった、という話) 再会を約束し、(おいおい、はよせな)。 都会のお仕事事情を勉強した日だった。 しょうがない、そういう流れだものね。 彼も、自宅併設の工場では、従来通りのアクションをすればいい、、 のだろうが、それ自体がしんどくなってきているのかもね・・。 お彼岸なのに、蒸し暑い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年09月22日 06時32分07秒
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