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鹽壺の匙 (新潮文庫 くー19-1 新潮文庫) [ 車谷 長吉 ] 【中古】忌中 /文藝春秋/車谷長吉(文庫) まだ車谷かよ。 訳がある。 あたしの母方の叔父は、加古川で薬局をしていたそうだが、太平洋戦争中、か、終戦直後に 自殺している。(伝聞で直接会うことは無かった) 上記2冊、著者の叔父の自殺に関するお話。姫路付近。 直接の動機はそれであったが、父方の叔父の話や、 さる親戚の親の世代の話や、が、、 記憶の深いところのことであったものが、この本を読むことにより 突然、目前に現れて、、。 本を読む、ことの、奥深さを知った。 そしてなぜあたしが、、この、作家の叔父の自殺に関して 興味が向かったのか、、そのわけの一つ二つが現れた数日だった。 母方の叔父、母の兄であった人は、加古川に薬局、、と書いたが、 ごく小さいころ、一度だけ母に連れられて加古川に行ったことがある。 川の畔の風景(それはたぶん加古川だったのだろうが)と、 クッキースの大きな四角い缶に、溢れんばかりのイチゴジャム、の (途中で、シールをしていたところからイチゴジャムが漏れて来て たいへんだったこと)べたべたした感じと赤い色とが、 唯一、残る記憶。 あたしはおそらく、就学前。 昭和27年(1952年)ごろかしら。 母は8人か9人兄弟姉妹。そのうちの男兄弟、2人が戦死、そして一人が自殺。 もう一人は、病弱でこの人が長男だったが、顔に大きな痣があり、 小さいころそれを取り除く祈祷?やなにかをして、、 亡くなったと聞いている。・・。 小さいころから、叔母の一人とは親しかったが、 こうして数えても8-9人には届かない。あとはどうなっているのだろう。 父方の叔父も8人兄弟で、 その戦争中に、一家で疎開し、(父は出征中)北海道に移住している。 稚内までの家族旅行の際に、(関西在住の叔父と一緒だったのだが、) 結構長く、いろんな話を聞いて、ああ、そうだったのかと思う事が多かった。 この8人についても、 あたしの脳内は、計算が合わず、もう、数えるのをやめている。 とにかく、あたしの親世代は、子だくさんであったのだ。 明治維新の前後に興味があるのはそのためである。 鹽壺の匙 (新潮文庫 くー19-1 新潮文庫) [ 車谷 長吉 ] が、文庫であったので、ハードカバーはないかと探し、 【中古】忌中 /文藝春秋/車谷長吉(文庫) これに、鹽壺の匙 のつけたし?の文章があったので、合わせて借りた。 先にこれを読んだら、脳が混乱した。 これは、良くないなあと思って、 文庫の「鹽壺の匙」に戻り、はー、とため息をついて、読んだ。 ちと、努力が必要だった。(字がこまいので) あたし達の親の世代までは、 子だくさんで、長子相続の社会では、長男以下の男の子は 教育もろくに与えられず、放り出されることが多かった。 ということが、分かった。 その放り出し方も、シンプルで、お前出て行け、というだけである。 過酷である。 艱難辛苦の末に彼らは、のし上がっていくもの、それなりのもの、 落ちぶれて消えていくもの、、いろいろだったろう。 時代が彼らを拾う場合もあった。 この小説の起点として、 実際、3つの物語が、想起されたのだ。あの人も、この人も、、と いう具合である。 一種のドクメンタリーであるから、あたしは、自分の身の回りの人びとに 照らし合わせることができた。 だからどうなんだということなんだけど。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年10月09日 06時37分21秒
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