強く、優しい父。
アキラが9歳小3、カズ7歳小2。6月頃、父親がアキラをひざの上に乗せて言った。「もしもお父さんが居なくなったらアキラ、お前がお母さんとカズを守ってやらないかん。分かるな?」アキラが「どこに行くの? 何で居らんようになんの?」と聞くと「もしもの話や」 と少し悲しそうな目をしながら頬擦りをした。それからほぼ毎日同じことをアキラをひざの上に乗せ言っていた。その年の夏休み、最終日。8月31日。近くに住む、カズと同い年のいとこが来ていて、3人で家のすぐそばで遊んでいたお昼前、アキラの家の前に人だかりが。アキラは何があったんだろう?と走って帰った。すると、隣のおばちゃんが「アカン!見たらアカン!」と叫びながらアキラの手を引いておばちゃんの家へカズもいとこもおばちゃんに手を引かれ、やって来た。少しして救急車のサイレンの音が。しばらくしていとこのお母さんがやって来て、「みんな、家においで」と叔母の家に連れて行かれたアキラが「何があったん?どうしたん?」と聞くと叔母が「何もない。大丈夫や、何もない」とソワソワしながら答えた。実は、アキラは見たらアカンと言われた時、家の中をチラっと見てしまった。父親が何人かに引きずられていた。父親は10年近く入退院を繰り返していて、癌だということをアキラは知っていた。ただ、アキラは癌がどういうものかあまり知らなかった。夕方5時を過ぎた頃電話が鳴り叔母が話している。アキラは母親からだとすぐに気づいた。電話を切り叔母が「アキラ、カズ、お母さんが帰っておいでって」と言った。アキラは叔母が目に涙を溜めたのが分かった。アキラはカズの手を引き家に向かった。 直線で250m位の距離。 いつもなら5分の距離。 アキラはその道のりを遠く、長く感じた。 カズが「お兄ちゃん、何があったん?お父さんかお母さん、なんかあったん?」 アキラは知っていた。 お父さんが死んでしまった事を。 でもそうでない事を祈りながら「なんもないよ。大丈夫やで。」と少しやさしい顔で言った。 涙がもう、すぐそこまでやって来ているのを感じながら、泣いたらアカン、お父さんが言っていた。男は親が死んでも泣いたらアカン。 何でや、何で親が死んでも泣いたらアカンねん。 死んだらアカン。 生きとって。アキラは30分以上歩いたように感じる位遠く感じた。 そしていつまでも家に着かないといいのにと思っていた。家に着くと、泣きはらした目で、顔を真っ赤にした母親が。優しく「おかえり」 そして「よく聞きや、 お父さん、死んでしもうた」アキラはずっと我慢していたが、涙が溢れて止まらなかった。必死に涙を止めようと両手で目を押さえたが次から次へと溢れてこぼれ落ちる。その日泣きながら話した事を覚えていない。ただ父親の死に顔は今でも忘れない。 とても穏やかで、優しい顔。アキラは何度も何度も父親の顔を見に行った。翌日、お通夜。アキラは前の年祖母を亡くし、人の死の意味を判っていた。何で死んでしもたんや。 他にいっぱい悪い奴居るやんけ。 何で病気になんか負けたんや。 これから、喧嘩、誰に教えてもろたらええねん。 もう、頭撫でてくれへんのか。 なんも悪いことせえへん、言うことよく聞いて、毎日肩たたきするし、カズの面倒をよくみる、だから帰ってきて。遊びに連れて行ってもらったこと。迷子になった時、必死に探してくれたこと。買ってくれな帰れへんと道端に寝転んだら、バケツに水を入れぶっ掛けて「帰って来い」と怒鳴られたこと。少しずつ冷静になり、いろんな事を思いながら通夜、葬式と・・・。斎場で、最後のお別れ。僕はずっと父親の顔を見ていた。 忘れないために。もしも顔を忘れてしまったらお父さんがかわいそうだと思ったから。そして収監、そのとき「待って! もう一回だけ顔見させて!」とアキラが叫んだ。 もう会えなくなるのを知っていたから。 もう触れられなくなるのを知っていたから。 それから一月ほどしたある日、母親が椅子に座り泣いていた。アキラが気づき言った「なんで泣いてるの? ごめんな、僕がお母さんとカズを守らなアカンのに。守られへんで」すると母親は「何言うてんの。何でそんなん言うんや?」アキラは「お父さん、死ぬ3ヶ月前から毎日僕に言うてたもん。もしもお父さんが居なくなったらアキラ、お前がお母さんとカズを守ってやらないかん。分かるな?」と言われたことを教えると母親は「お父さんな、癌でもう助からん、もって3ヶ月の命ってお医者さんに言われて、3年近く生き続けてんで。強いやろ? でももう無理やって思ってたんやなぁ。 お母さんも強くならなな。 一番悲しんでるのはお父さんやろな。アキラとカズを一番大事に思ってたんやから。ありがとうな、アキラ。もう泣かないからね」あれから26年。たった9年の短い間の父親の後ろ姿を今も追いかけている追いつけるはずもないのに追いつけるような気がして