『平成名物TV・いかすバンド天国』
通称〔いか天〕という番組をご存知だろうか・・・
〔いか天〕とは、1989年から1990年に渡り、
三宅裕司と相原勇の司会で放映されていた、バンドを発掘する深夜番組である。
毎週10組のアマチュアバンドが登場し、審査員を前に完奏を目指す。
(気に入られなければ、演奏の画面が途中で止められる)
完奏したバンドの中から、その週のチャンピオンが決められ、
5週勝ち抜くと、「いか天キング」に輝き、メジャーデビューへの道が開かれる。
この番組が爆発的な人気を博し、凄い勢いでバンドブームが広がった。
その「いか天キング」に輝いたバンドの1つが、<たま>。
実は、この〔いか天〕、自薦のバンドだけでなく、番組推薦で出場のバンドも多く、
<たま>のその一例。
だから、彼ら自身は、テレビで売れたいとか、メジャーデビューしてやろうとか、
全く思っていたわけではなかったのだ。
4人の奇妙さ、不可思議さは言い表しようがない。
1人は、ものすごい短いおかっぱ頭に、チョッキ姿、
膝丈のズボンに下駄履きという座敷わらしのようないでたち
(知久寿焼 ―普段からこの格好で、高円寺、阿佐ヶ谷辺りをうろついていた)。
また1人は、坊主頭にランニングシャツ、胸に太鼓を下げ、桶や鍋を叩いたり、
笛を吹いてねり歩く(石川浩司 ―単に暑いからランニングスタイル)。
また1人は、アコーディオンを弾くほっそりとした女形風で、伸びやかな声の優男
(柳原幼一郎 ―実は<たま>は、一時的に遊びで結成したバンドだったので、
早くから解散したがっていたが、知久と石川にうまいこと言われ、引き止められていた)。 また1人は、唯一見た目がまともっぽいので、返って浮いて見えるベーシスト
(滝本晃司 ―全くベースが弾けないくせに、<たま>がベースを募集しているのを知り、
応募し、脱サラまでした、実は変人)。
‘らんちう’を聴いたときは、ぶっ飛んだ。第1声が、
「いよぅ~~~~~~~~~~~」 ポコン で、始まるのだ。
そしてその節回し、歌い方、歌詞、全ておかしく、
間奏に入るナレーションが、また不気味。
メジャーデビューして‘さよなら人類’が大ヒットし、紅白にまで出場した彼ら。
(彼らは出たくなかったので、辞退を申し出たが、
何様のつもりだ!とばかりにすごまれ、出る羽目に)
〔いか天〕に出る前までも、吉祥寺あたりのライブハウスで、結構人気があり、
本当にライブが面白かったらしい。
私は残念ながら見たことはないのだが、彼らの音楽やパフォーマンスは、
CDなどでは、そのよさを表現しきれないのは予想がつく。
ジェットコースターのような忙しい毎日に疲れきり、
1995年ニューヨークライブを果たした後、その年の暮には柳原が1抜けし、
その後残りの3人で意外に長く活動を続けたが、2003年に解散した。
知久と柳原のハーモニーが絶妙で、それが聴けなくなったのは喪失感でしかなく、
いつしか私の中から、<たま>に対する関心は失せていた。
しかし、今、時折<たま>のアルバムを聴くと、ものすごく懐かしい気持ちになり、
何故か昔の子どもになって、そこら中を裸足で走り回ったり、
縁の下で膝を抱えてかくれんぼしているような気になるのである。
‘らんちう’は、アルバム‘さんだる’に収録 -----
夕暮れの空に金魚をおいかけ
ぼくらは竹ざおみたいな脚を
土手につきさしてさまよった
ぱきぱき音たててさまよった
景色がまっかっかに腫れちゃった
そんなさびしい上空で (はい)
金魚の記憶がないてるよ
金魚の記憶がないてるよ
(‘らんちう’ より)
4人は、今もそれぞれソロ活動を続けており、それぞれの音楽世界を楽しんでいる。
それぞれが、好きなときに、好きな歌をつくり、好きなように歌っているのだ。
あのこどものような眼差しで・・・