熊野古道 那智の余韻
ようこそ、お越し下さいました。前回の記事は、那智での私の体験を忠実にお伝えしたつもりですけど、言葉というものは便利なんだけどある面では不便ですね。精神性が高ければ高いほど、適切な言葉が見当たらず、奥の深い心の機微は伝えきることが難しい。瀑布の轟音と繊細な水の音、そこから醸し出される音波と霊波、とても言葉では表現できませんでした。更に、下手なカメラマンですから。でも、私は気合と思い入れだけは強いです、昔から。その思いでシャッターを切っていますから、ある程度は何とかなっていると思います。那智は、ヤタガラスが有名ですね。日向の高千穂に住んでいた神武天皇が、日本を治める為に大和に向かったが、その先先で地元の豪族の攻撃に遭い、なかなか思うように進むことが出来なかった。その時に、ヤタガラスが現れ大和まで導いてくれたという話が古事記や日本書紀にあります。カラス文字で書かれた熊野牛王神符。このお札は熊野の神の霊験あらたかな、大変な人気を誇っていたようです。このお札の裏に約束や誓いを書いて相手に渡しておく。そうすることで、その約条を破った時は、当時は絶対とされていた熊野の神が罰を下すとされ、何よりも信頼性の高い誓紙になっていたようです。この那智の滝での私の体験があまりにも強烈で、まるで感電したかのような身体のしびれと倦怠感、それに反した高揚感に包まれ、帰路どのようにたどったのかの記憶が曖昧でした。辺りを見渡すと、いつの間にやら古代の神々の時代に入ってしまったような・・・・・手には鉾を持ち、勾玉を首にかけた神々が行き来しているような錯覚に陥る。確かに熊野にいると、時代という概念が消失するのを感じます。実は、時空というものは人間が三次元で生きていくのに都合がいいので、長い歴史の中で人間の概念が凝り固まって出来た幻想なのではないかと思える。おびただしい数の生まれ変わり、輪廻転生を繰り返してきたと思われる私達。それは、地球だけの転生ではなく、他の星での生まれ変わりも含めてです。勿論、大いなる真理の成就という道に沿って営まれてきた神聖かつ厳粛なものでしょう。そして、生まれ変わりの都度、過去の記憶に蓋をされてきましたね。それは、先入観の無いまっさらな状態で学ぶための「大いなる存在の愛」です。何を学ぶ必要があったのか、それは「創造主の愛」の顕現なのかもしれない。人間レベルの愛より深い、「神の慈愛」なのですね。この事を思うと、「愛」と「愛情」は別物だという事に気付きます。より深い「愛」を表現出来なかった故に、あるいは、より深い「愛」を学ぶ為に再度生まれ変わって学びます。そして今、その学びの一段階の成就を向かえた魂さん達が多く出現してきていると思われます。すでに、三次元レベルでの学びは終了し、より高次元に飛翔するための準備が整った魂さんです。きっとそういう人達は、一気に過去生の記憶が甦り、三次元での時間で数万年?の足跡が白日のもとに自身の心にさらされる事でしょう。それは、取りも直さずアカシックレコード銀河系レベルのアクセスを許されるということかもしれません。そうなることでと、今まで知らされていた時空は迷妄だった事に気付くのでしょうね。熊野にいた自分は、その一端を覗いたのかもしれません。この日から、この時から新たな別の私の歴史が始まろうとしているのを感じます。それは、偶然的な出会いというものではなく、もっと運命的な導きのように強く思います。松下電器の創業者である松下幸之助さんが1932年5月5日、この年を松下電器の使命を知った日として、「命知元年」とし、新たな出発の年としたのは有名な話ですね。「命を知る」とは「自分が何のために生まれたかを知る」という事に他ならない。私にとっての「命知」は、2010年1月25日ということか。西国の巡礼の旅が始まって20日目にして学ばせていただいた、大きな大きな収穫でした。