カルマ・ヨーガ 2
前回は、日々の行為の中に悟りの道があると書きました。今の置かれた環境が、自身を浄化たらしめるに最も相応しい場所である事、最短距離に通ずる、あらかじめ設定されたオリジナルの道なのですね。特別なセミナーに参加したり、お金を使って何かのグッズを購入したりする必要も無いような気がします。前回に引き続き身近な例を挙げてみると、仕事や日課をこなすという事。どういう心持でこれに向うかという事が、重要になります。先ず、そこには義務感が限りなく少ない。物を作る人は心を込める。丹精込める。手塩にかける。こんな言葉が浮かびます。人に会う事が多い人は、言葉に愛が注がれます。顔には笑顔が似合います。手紙やメールは、その行間から相手の感情や想い、波動までが手にとるように伝わる事でしょう。事務的、機械的であってはいけませんね。行為は作用、作用には反作用という力が働きます。調和の作用には、調和の反作用が跳ね返ってくる。愛を注いだ行為には、宇宙の愛が跳ね返って自らを潤される事でしょう。マザー・テレサが、若いシスター達に言って聞かせた言葉があります。「食事のお世話は、食べていただく人の事を思って作りなさい。食卓を作る時、どんな方が座られるのか、それを思いなさい。人と会ったら、その人の幸せを祈りなさい。」その刹那刹那を、いかにして愛を表現するか。それは、簡単なようで難しい。でも、難しいようで実は簡単なのです。“如何に思うか”だけで、特別な修行も技術もいりません。マザーは、カルマ・ヨーガを確実に実践された方なのですね。マザーの愛の表現レベルは、菩薩様の領域。統合意識としての愛の表現を内包された、奥の深い愛なのですね。今、波動の読める人が増えています。読めるというより、感じられるといった方がいいかな。愛を込めて作られた料理には、作って下さった人の愛のエネルギーを受け取る事が出来ます。食事一つをとっても、そこに命を吹き込まれます。それを食べた人に、生きる勇気を与えます。私が作っているベーコンとハム。ベジタリアンで、肉類は駄目という方も、喜んで食べていただいています。それは、丹精込めて作った私の作品、浄化されたものだからなのでしょう。高い波動に包まれた物なのです。洗濯をする、それを干してたたむ、掃除する、挨拶をする、生活の中での全ての事が、悟りを開く入り口になる。これが、カルマ・ヨーガの真髄なのでしょう。