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カテゴリ:哲学的お悩み&お笑い
ほとんどの女性は占いが好きなようです。
(占いが好きな男もいる、と誤解している女性がいるかも知れませんが、真相を打ち明けると、男は「女性との話題」として好きなのです) (つまり、女性が好きだから、占いが好きな男がいるのです) 特に若い女性には、占いは人気があります。 私には、これが不思議で仕方ありません。 若いうちは、占いに興味を持つものです。 私も学生のとき、翌日の期末試験が上手くいくかどうか、よくトランプで占っていました。 なかなか良い結果が出なかったので、よく徹夜したものです。 不思議だと感じるのは、若者の普段の行為にふさわしくないように思われる点です。 ふつう、占ってもらうといえば、つきあう相手のことや、将来のことあたりでしょう。 しかし、つきあう相手について知れたければ、相手をできるだけ細かく観察するしかありません。 後悔したくなければ、つきあわないという道しかありません。 要するに、つきあうか、つきあわないか、という選択肢しかないのです。 それを、他人に相談して、どうするのでしょうか。 つきあおうと思っている相手が、その占い師の子供なら分かります。 将来の進路として、占い師になろうか、と迷っているのなら、占い師に相談してもいいでしょう。 しかし、そういう状況でもないのに、占い師にアドバイスを求めているのです。 アドバイスしてくれる人がいなくて困っているなら、見知らぬ占い師に相談する気持も理解できます。 しかし、たいていは、アドバイスしたくて手ぐすね引いて待っている、親などの年長者が周りにいるのです。 もちろん、周りにいる年長者にも答えられない問題がいっぱいあります。 むしろ、ほとんどの問題に答えられないと言っていいでしょう。 しかし、つきあう相手とか、将来の進路の問題のように、「やれることをやった後は、本人の決断次第」という、知識を必要としない「決断の問題」については、年長者は誰でも明確な意見を持っており、自信を持ってアドバイスをすることができるはずです。 こういう問題こそ、自信を持って「お前の決断は間違っている」と断言できるだけの失敗の蓄積が年長者にはあるのです。 (私などは、失敗の蓄積には自信があります) (よく考えてみれば、ヘンな自信です) 年長者は、若者が自分と同じ間違いをしようとしているのが判っていながら、手をこまねいて見ているしかないのです。 年長者にとっては、苛立たしい限りです。 精神鍛錬になってもよさそうに思える程ですが、精神というものは鍛錬されないものです。 通常、若者は、子供の時から長年にわたって教育を受けた結果、親や教師の言うことは何でも拒絶するという態度を身につけます。 しまいには、有益な事なら何でも拒否するようにまでなっています。 この態度を貫き通すのなら、私は納得します。 有益な事を避けるのは、年長者も同じなのです。 しかし、なぜ占い師の言うことには、耳を傾けるのでしょうか。 不可解なのはこの点です。 占い師だけは、信頼できる職業だと思っているのなら、占い師になりたがる人がもっと多くてもよさそうなものです。 占いが流行るのは、若いうちは自身を持っていないことの現われだ、と考える人もいるかも知れませんが、自信を持っていない者が、年長者の意見をあれほど独善的にばかにするでしょうか。 それとも「周りの年長者は信用できない。ゆえに見知らぬ年長者は信用できる」と推論しているのでしょうか。 占いに頼るというだけでも不可解ですが、さらに不可解なことに、自分の性格を見ず知らずの占い師に判定してもらう者が増えているのです。 最近では、部屋のカーテンの色や部屋の間取りまで占いに頼る有様です。 そのうち、ヘアスタイルや服装、スケジュールや夕食の献立、どんな映画を観たらいいかも占ってもらうようになるでしょう。 そうは言っても、私も人間です。 占いに頼りたくなる時もあります。 今も、明日のプレゼンテーションの資料を作成中ですが、明日のプレゼンで、クライアントに納得してもらえるか、不安で仕方ありません。 あまりに不安で、資料の作成が手につかず、まったく出来ていません。 しかし、私は占い師などに頼るつもりは、さらさらありません。 いつものように、トランプで占うことにします。 運が良ければ、徹夜にはならないでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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