超好意的女性論序説(2)
一部の男性からは(個人的内密に)好評を博した「超好意的女性論序説」ですが、一部の女性からは(おおっぴらに)不評だったので、このシリーズは今回が最後となってしまいます。私はわが身を危険に曝してまで、このページに執着するほどの愛着は持てないところです。次回からは(敵を作らない)有用なサイト運営を心掛けたいと思いますので、皆様(特に女性)からのご意見をお待ちしております。では「超好意的女性論序説(2)」を心静かにお楽しみ下さい。〈4〉 勇気があるサルの集団の中にオモチャなど、見慣れないものを置くと、まず最初にそれに触って試すのが子猿とメス猿です。オス猿はメンツがつぶれるのを恐れて、最初は無関心を装っています。子猿とメス猿が試して、安全だと確認した後になってから、それに気が付いた振りをするのです。このように、猿の世界ではオスの方が臆病です。人間の社会でも同じことが成り立っています。女性は男より大胆で、新しいものを恐れずに、素早く適応します。その大胆な適応力、順応力には目をみはるものがあります。女性が男と付き合う、ということも、考えてみれば大胆です。男が心の底で何を考えているかを知っていたら、あまりよく知らない男と二人きりになるなどは、恐くて出来ないはずです。女性の想像をはるかに超えて、男は心の底ではトンでもなく破廉恥な妄想を持っているものです。男の私でも、男とデートする勇気は持てないところです。世の女性は、そこまでの勇気があるのなら、心の底がたかが知れている私とデートすべきでしょう。つい長々と書いているうちに、本心が洩れたかも知れないので話を戻しましょう。昔から女性は、親が決めた見知らぬ男と結婚する度胸がありました。最近はその度胸が無謀の域に達していて、「若い女性は警戒心を持たないから、レイプや殺人などの被害にあうのだ」という人がいます。若い女性の警戒心が無いというのです。ただ、どういう訳か、私にだけは過度の警戒心を抱いているのが納得できません。 〈5〉 平和的である女性の中には男以上に好戦的な女性もいますが、女性が暴力をふるうことは稀です。女性の武器は暴力ではなくて言葉です。言葉を操る能力は、男よりもはるかに発達しています。女性は、すでに幼児の頃から、自由に言葉を操ることができ、男がやっと「マンマ」と言えるようになった頃には、「もっと、おいしいものをくれなければ、面倒な事になるであろう」という趣旨のことを婉曲に表現しているのです。この能力は、その後も実戦経験を積んで練磨され、年齢を重ねるに従い、益々磨きがかかっていくのです。女性は暴力に訴えるような愚かなことをしませんし、する必要もありません。口先だけでも完膚なきまで男を打ち負かすことができるのです。男が早死にするのも当然です。私はこのような弁舌の能力を、なんとか平和利用できないものかと思います。このような事を考えるとき、私は神に対する感謝の気持ちを抑えることが出来ません。私がいくら感謝しても、し過ぎることがないと思うのは、神が女性に腕力を与えなかったことです。神は、男には力仕事ができるように腕力を与え、女性には男を操るための口を与えた。もし女性が腕力を持っていたら、男は確実に奴隷にされていたでしょう。(余談になるが、私は日頃の筋トレによって腕力には自信があるが、女性の奴隷である)〈6〉 やさしい女性はやさしい。とくに、か弱い者、弱者にやさしい。正確に言えば、自分の目から見て弱者だと思われる者に対してやさしい。そして弱者を保護しようとするのです。ついでに言えば、女性は(謙虚にも)一番優先されるべき弱者は自分であると考えています。従って当然ながら、やさしさは何よりも自分に向けられます。そればかりか、女性は弱者に対してあまりにもやさしいため、他人にも弱者(自分)に、やさしくすることを要求します。女性が考えるやさしさは、抽象的なものではありません。なんらかの具体的な形に表さなくてはやさしさとは言えません。女性にとってやさしさは、気持ちよりも言葉、言葉よりも金品によって、金品も金額によって、測られるものなのです。これは女性が拝金主義者だからではありません。その証拠に、女性の方から男にやさしくするときは、やさしい言葉をかけるとか、金は掛からないが心のこもったもの、例えば手編みのセーターのようなものを贈るといった、金に頼らない手段を使うのです。自分がやさしくしてもらうときは金品で済ませ、逆に自分が他人にやさしくするときは、真心を込めるのです。これほど、やさしいことがあるでしょうか! なるほど、手編みのセーターよりユニクロの1,980円のニットの方が、ずっと恥ずかしくないし、着心地も良いかも知れません、せめてセーターよりもマフラーなら着心地の問題が起こらない分だけマシだったでしょう。しかし男はそんな事よりも女性の気持ちに感激し、感謝の気持ちを持ってそのセーターを着るのです。だいたいそれを着なかったら女性が許さないでしょう。それほど真剣に、女性はそのセーターにやさしい気持ちを込めているのです。女性がやさしい気持ちを向ける対象は、もちろん自分だけではありません。そのやさしさはゴキブリのような虫ケラにも及んでいます。たいていの女性はゴキブリを決して殺さず、男に殺すように命じるだけです。ゴキブリがかわいそうで、とても直接手を下すには忍びないのでしょう。このように、女性は虫一匹殺せないほどやさしいのです。ここまで書いてきて、なぜか身辺に危険が迫るような不吉な予感がして来たので、これで打ち切りますが、これまで列挙してきたのは、無数にある女性の美点のほんの一部に過ぎません。一部に過ぎないけれども、私は精一杯に女性を賛美したつもりです。それでも一部の女性の中には「褒めかたが足りない」と腹を立てている人もいるでしょう。どんなに褒めても褒め足りないほど、女性は多くの美点を持っているのです。<注記>当初の構想段階では、他にも「女性のきれい好き」「金銭感覚」「合理性」「記憶力」などについて賛美する予定であったが、なぜか私の文章は、あらぬ誤解や曲解を生みそうなので、これらの部分については割愛することとした。私は女性を崇拝しており尊敬しているのであるが、私の表現力の及ばない偉大さを女性が持っているため、思うように伝えることが出来たかどうか不安である。(私の女性関係も不安である)いずれ機会があれば、続編に挑戦し発表することもあるかも知れない。そのときまで私が無事でいればの話だが…。 ≪女性論を総括して≫女性には欠点が無いと思います。かつては多数あるような気がしていたのですが、本稿を読まれる賢明かつ、聡明な女性の反応をあれこれ予想しているうちに、勘違いしていたことに気が付きました。(言葉づかいまで変わってしまいました)そのような勘違いをしたこと自体、取り返しのつかないことをしてしまったと、深く反省しております。今後はこのようなことのないように、充分に注意と配慮をもって、生きていく所存です。今は、しばらく誰にも見つからない無人島にでもこもって、身の安全を図るつもりです。どうか私を探さないで下さい。≪追記≫次回からは、装いも新たに(するかどうか考え中ですが)女性からの反応をよく伺った上で再開します。