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カテゴリ:哲学的お悩み&お笑い
私はいつも忙しいが、最近は忙しさの余り、忙しさの原因究明を怠っていたような気がします。 私が忙しい原因を考察してみれば、その対策も浮かぶでしょう。 そもそも、一日のうちで私が最も時間と労力をかけて取り組んでいるのは探し物です。 先日も、顧客に相続についての説明をする直前になって、自社株の評価を試算した書類をプリントアウトするのを忘れていることに気が付きました。 持参したパソコンの中に入れていると思ってパソコンの電源を入れたところ、その途端にバッテリーの充電が切れてしまいました。 結局、そのパソコンの中にはファイルを保存していなかったから良かったようなものの、そうでなければ、その重たいパソコンを持ち歩いたのが徒労に終わるところでした。 事務所に帰って、別のパソコンの中からファイルを探しました。 途中で電話がかかり、そばにあった封筒の裏に相手の電話番号をメモしました。 その直後、気が付いてみると、メモを取ったペンがなくなっていました。 今度はペンを中心に周辺を捜索しました。 (ただのペンなら、そこまでこだわらないのですが、そのペンは、ちょうど私の四十回目の誕生日から五十六日目に、友人の事務所で拾った記念のペンなのです) 捜索の収穫はゼロでした。 探している間に、メモを書いた封筒を失くしたから、マイナスと言っていいでしょう。 こういうことにならないように、整理方法を考案したのですが、そのアイデアを書いたメモもとっくの昔に失くしました。 どうして、こうなるのでしょうか。 誰かが盗んでいるという可能性も否定できませんが、ちょっと目を離した隙に私の事務所に入って盗んで出て行くほどの天才的な泥棒技術の持ち主が、なぜ私の安物のペンを狙うのか、という根本的な疑問が残ります。 私の経験から言うと、物がなくなるのは、誰かに盗られるというのとは違います。 盗られるのなら、単に物が移動しただけですが、私の実感では「完全に消滅した」というのに近いのです。 まれに後で見つかることがありますが、それも、突然出現したという感じがします。 そう考えて、私の居る所は「魔の三角地帯」かもしれないと疑いました。 しかし、私が旅行や出張などで移動するのに合わせて「魔の三角地帯」が移動すると考えるのは、「地帯」という言葉の意味に反しているような気がします。 様々な可能性を検討した結果、私は、『物体は何の原因もなく、突然消滅することがある』と考えるのが最も整合的な説明だという結論に達しました。 この結論は物理学と真っ向から対立します。 物理学では、『物体は生半可なことで消滅してたまるか!』という前提を立てています。 例えば、物理学の理論によれば、冷蔵庫に三つ入れておいたイチゴ大福が、次に開けたとき二つになっていた場合、誰か(泥棒、私自身、事務員の中田さん、など)が食べたか、数え間違いをしているか、別の物質に変化したかです。 これらの可能性を調べてみて、何の原因も見つからなかった場合(通常、“中田さんが自白しない限り”原因は見つかりません)、『何の原因もなく消滅した』とはされないで、『原因が見つからなかったから、原因はどこか別にあるはずだ』という結論を下すのです。 しかしこれは、『私の金が、財布の中にも家にも銀行にも無いから、どこか別の所にあるはずだ!』とか、 『自分は容姿容貌や性格にも優れたところが無いから、別の優れたところがあるはずだ!』と考えるのと同じくらい間違った推論です。 物理学は経験科学です。 当然、経験に忠実でなければなりません。 それなのに、『物がなくなる』という、誰もがしょっちゅう経験していることを認めないのです。 虚心坦懐に反省して、『物は時々何の原因もなく消滅する』と認めれば、さまざまな現象をより簡単に説明できることが理解できるはずです。 そうすれば、私の責任を追及されることも無くなるのです。 物理学を、こう修正すべきでしょう。 『消滅しないのは、不要な物と邪魔な物だけである。 これらは原因が山ほどあっても消滅しない。 だが、貴重な物はときどき消滅する。 最も貴重なもの(美貌、優れた人格、才能)などは、しばしば最初から消滅している』 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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