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カテゴリ:ほんの日常から
紫珠との対話の続きから・・・
兎「貴方は玄武ですか?」 紫「そうだ」 兎「貴方は最初からあの幽霊ホテルにいたのですか?」 すると・・・ あるイメージが浮かんできました。 芝生の様ななだらかな・・・丘よりなだらかなんですが・・・平地じゃない そこに、ひと柱の石柱が立ってます。 先がまるくて。。。。全体的に円柱のような感じ そんなに大きくありません けど、とても優しい感じがします。 すると その石柱に太い光の柱が天から降りてきました 光り輝く 優しい優しい光の柱 兎「ああ・・・本来は、そういう姿だったんですね・・・」 いつしか 埋められ・・・ 封印の様に、色々な念が覆いかぶさってきた。 >>>>>>>> 神社も、パワースポットもそうなんですが・・・ この頃わかってきたのは、「気を増幅させる場所」でもあるという事です。 だから、いい想いがあつまると、そこに元々あった神霊がいい方にドンドン働いていけるし、 逆の想いがあつまると、封印になったり、さらのそういう種類の気を集める収集所になってしまうようです。 白龍の台詞(過去ログより) 『私は、いわばその場のエネルギーが形になったものだ。 集まった集合体は「蛇」から「龍」に変化るす事を求めた。 だから私は、その場の念と合体していき、「龍」となった。』 も、このことにリンクしているように思いました。 また、さつきのひかりさんの 『生まれたときのエネルギーに善悪ははくて、 それから大自然の力をためて神様になるべきだったのに 幽霊ホテルだとか式だとか、色々災難にあってしまって神性が発揮できない・・・ 自分でも忘れてるような?感じがなんとなく。 』というメールの内容にもシンクロしてると後で気がつきました。 (さつきのひかりさんとは、古い古い過去生でご縁があったようで 今、色々な学ぶ機会を与えてもらってまふ(いつも有り難うございます!)) >>>>>>>> 浮かんで来た、光の柱、光の石柱は 本当に、清清しく・・・自然の中で一体で・・・ その時の、人々の想いも清らかに一体だったような印象がしました。 けど・・・ ふさがれた そして、最終的に、ある病院のレイラインを塞ぐ役割をさせられることになってしまった。 ああ、今気がつきました。 もともと・・・ 大自然の中で、大地と草と風と光を浴びて生まれたエネルギー だから、何も無い白い壁に囲まれたあの非常階段の高い高い吹き抜けの中で 『草も木の精霊も風の精霊もいない。 誰にも会えない。一人は寂しい。 一人は・・・耐えられなかった』 と、 アクセスを求めてきたのですね・・・。 >>>>>>>> 最後に 兎「何故玄武なんですか?」 紫「大地と水のエネルギーを持つから」 ・・・・・ そういって、アクセスが終わりました。 スカイプを終了してから ブログを書くために、「玄武」自体を調べる事にしました。 >>>>>> 『玄武とは』 陰陽五行では、水を象徴し、北の方位を守る霊獣。 季節では冬(玄冬) 背後からの攻撃や予期しない攻撃から守ってくれる力があり、 邪気が浸入した時には祓ってくれます。 北を守護する聖獣で、 亀と蛇を合成したような姿をしていて、 四霊獣の一つとされます。 五行思想で北は黒を表すため玄(黒) 甲羅を背負い防御に長けていることから 武と呼ばれます。 古代の壺などでは しばしば蛇を体に巻き付けた亀の姿で描かれます。 のちに真武玄天上帝という神になります。 >>>>> 『亀と蛇・・・』 あ、そのまんまだ(゚Д゚ ) 鎧に見えた甲羅は『防御の為』 だったんですね(゚Д゚ ) 実は琵琶湖は南湖と北湖に別れています。 そして、彼が顔を出した白髭神社は「北湖」にあります。 『北の方位を守る聖獣』 あ、そのまんま(゚Д゚ ) 白髭神社の琵琶湖の中の鳥居は竜宮というか、違う次元に繋がっていると感じてます。 だから龍友さんも、あそこを守ってくれていました。 『邪気が進入するときは守ってくれる』 琵琶湖の守りが強化された?(゚Д゚ ) そして・・・ 『のちに、真武玄天上帝という神になります』 民間で、最初単に蛇・亀信仰だったのが、北極崇拝に融合して道教の高位神になった・・・ という事を指しているみたいですが、「大きな神様の一部」にもシンクロしてる??(゚Д゚ ) つづく (すんません、次は後日談なんですが、 次回の話は、エールを送って下さった方々に是非読んで頂きたい内容です。 頑張ってまた書きますです) >>>>>>> 追伸> 歴史に興味がある方へ さらに、翌日・・・・ 違う角度からの情報が入ってきました。 ある人が「あのホテルの場所、埋め立て地じゃないかな」とおっしゃったことから ・・・・・・・ Σ( ̄□ ̄;)じゃ、もともと水だったら「あの石柱なかったんじゃない???」 妄想?? 非常に心配になり、ひょんな事でご縁を頂いた、大津市の古墳等の発掘調査をしている方にお尋ねしました。 結果> *もともと、幽霊ホテルがあった地域(大津市木の岡)は小さい川が多く、 確かに土砂が堆積して出来ている可能性がある。なのでその地域の地盤はゆるいそうです。 *しかし、すぐ目と鼻の先に、木の岡下坂本陵墓参考地(木の岡古墳群)http://www5e.biglobe.ne.jp/~mj-home/om-h7-kinooka.htmがあること、 (幽霊ホテルは、旧国道161(テンテンの道)の琵琶湖よりで、茶臼山古墳を道路を挟んで向かい側に位置していたようです) 集落があったこと *その周囲の琵琶湖湖岸から、縄文式土器が発掘されていること などから、十分陸地であったと考えられるとの事でした。 ・・・・うん、周囲の人々もおまいりしていたというか、綺麗な気をその場を通じて何処かに送っていた印象がありました。 縄文時代の方々??? ・・・・ そういえば、東京都も昔の江戸の町の上に出来ているって気いた事があります。 ちょっと、マニアなお話でした。 では、又 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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