私が最もお慕いするとあるお方のお誕生日にお贈りしようと、10年間封印していた「物書き」という分野に再び足を踏み入れて約2ヵ月。しかも夢小説というはじめてのジャンルで筆を取ってから紆余曲折あったがどうにか小説が書き上がった。日付変更直後にメールに添付してお贈りしたのですでに相手の方からはお礼の言葉を頂いているのだが、なんとその方のサイトで私の小説をお披露目くださるそうで、閲覧者の反応が怖い今日この頃である。
それにしても、『書く』という所作は楽しい。小説として成り立たせる為のきちりとしたパーツが全て揃うまでは産みの苦しみにも似た苦悩で満たされて自分と自分とで葛藤と自己嫌悪の嵐が巻き起こり、『書く』という所作を楽しむどころではないのだが、自分のイメージにぴたりと当てはまる文章表現ができた時の喜びは何の楽しみにも勝ると思う。
私は今まで「自分」というものは何の能も才も持たないものであるとずっと思い続けてきたが、もし現時点で少しだけ我儘が言えるのであれば「物書き」としての才能がほしい。ずっとそこかしこのサイト運営や日記やブログを書く事でごまかし続けてきた「物書き」としてのリビドーはすでに私という名の器から溢れ出す寸前である。
ひとつの小説を書き終えた今でもまるで果実から果汁が滴るように、ポタリポタリとイメージと語彙とが重なって混ざり合って次から次へと断片的な情景が浮かび上がってひとつの小説としての輪郭が形を成していく。
多分、私はこれからも水面下で「物書き」としての活動を続けて行くことだろう。おそらく続けていけるだろう。今回、ひとつの作品を書き切った事でそれなりの収穫はあったと思う。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
もっと見る