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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
カテゴリ:仕事のこと3
3月。
来年度から入学する子どもたちは、 順番にことばの教室を修了していく。 今日は2組修了。 この後は経過観察程度で、主だった学習はない。 修了に向けて、何人か検査もした。 終了間際になって、検査結果を言うのは、 この教室でそれを生かせることがないので、 なんとも心苦しい。 結果は境界線よりちょっと低めに出た男の子。 全体的に発達がゆっくり目の子だ。 ただそれだけ。 だけど母にはそれが心配でたまらないのだ。 ゆっくりであることで仲間はずれにされないか。 馬鹿にされないか。 検査結果はある意味酷だ。 あくまでも平均値ではあるが、 はっきりと数字で表される。 中身をよく知らない人は、その数字だけが先行してしまい、 本質は捉えられない。 数字を出して、その上中身をきちんと説明するようにしているが、 数字を見せることに疑問を感じてしまった。 この結果と 先への不安で、目の前のお母さんの目から涙が溢れ出してしまった。 彼のよさや、彼にとって一番いい方法を知っているのはお母さんだ。 それをうまく伸ばしてあげられないことにも、 もどかしさを感じている。 こんな時 おかあさんの気持ちをうまく汲んで上げられたか、 わからない。 お母さんは勿論まわりの大人が温かい目で見ることで、 まわりの子どもたちにもそれが伝わる。 私にどれだけのことができるのだろうか。 自分の未熟さに気付かされる。 最後にこのことばの教室に出会ったことへの感謝の気持ちを言っていただいたが、 何となく中途半端な気持ちになってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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