|
テーマ:障害児と生きる日常(4433)
カテゴリ:身近なこと
障害児を育てることって普通の子育てと何が違うんだろう…?
とことばの教室や遊び教室を通して思うことがある。 私は何も違わないと思う。 何も違わない…というと語弊があるかもしれないが、 根本的には同じだと思う。 障害があるかないかで育てやすいかそうでないか、 試練が多いか少ないか もちろんそういう違いはあるかもしれない。 ことばが通じにくいために言うことを聞いてくれなかったり、 多動で集中力にかけるため、ご飯の時ちっとも座っていてくれなかったり、 それでも母の言うことは聞いて欲しいし、 ご飯の時座っていて欲しい。 できるようになるまでの過程はものすごく努力がいるかもしれない。 やみくもに怒鳴ったからと言って成果が出るものでもない。 やはり障害に合わせた、その子に合わせたやり方接し方を知っていれば、 その時間が労力が削減される可能性がある。 こういうのは 子育ては障害があろうがなかろうが、 親の価値観や育ち方にものすごく左右される。 それが正しいかどうかは親の考え方で決まる。 もし放任で育っていれば、やっぱり正しいマナーを習得するのに、 大きくなればなるほど時間がかかる。 養護学校のときも、今も、 基本的に障害がある子もできないことはないと思って接してきた。 時間をかければ必ず習得できると思ってきた。 これは勉強に関してというより、特に生活することに関してだ。 どんなに知的に障害が重い子も 強い自閉性を持っている子も やっぱり人間が成長する過程をしっかり歩んでいる。 なのに元々障害があって育てにくい子どもかもしれないけど、 そのことと+αで二次障害がいっぱいあるような気がする。 私が一番もったいないと思うのは、 その部分なんだ。 やっぱり小さい頃であれば習得の時間が短くてすむ。 障害のある子どもを捉えて、子どもと向き合う。 周りの目や、周りとの比較、何か違うけど認めたくない気持ち、 そんな中で「がんばる」ことは並大抵のことではないと思う。 ごはんを座って食べさせたいけどすごい抵抗に合うので、無理させないことにした。とか、 手づかみで食べさせないと怒るからそのまま3歳まできてしまったとか…。 毎日向き合っている母はそれはそれは大変なことだと思う。 でもそこを妥協してしまうとどうなるか 中学部にいた私はそれが10年後にどういう結果になるのか見えるところがある。 二次障害を少しでも軽減して、 この先の子育てをもっと大変にしないためにも、 少しでも役に立てばと思って今の仕事をしている。 そう思って本当に変わっていく子どもたちを目の当たりにしているから、 がんばることができるんだなあ。 自分の言ったことや対応の仕方に後悔して眠れなかったり、 教室を欠席した理由を気にしてみたり、 正直すっごく神経を使う。 以前よりずっと少なくなったが、 以前はこんな仕事辞めたくて辞めたくて、 向いていないと思う日々が続いた。 でも、その都度私を先生と認めてくれ、 ついてきてくれたお母さんたちに助けられてきたんだなあ。 なんか、改めて考えてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|