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テーマ:障害児と生きる日常(4431)
カテゴリ:仕事のこと3
ちょっと極論を書いてしまったような…。
勢いだったのだがたまにそんなことを考えてしまう。 きっと、心の準備も子どものありのままの姿を捉えきれていないときに、 「もっとがんばりなさい」という類のことを言ってしまったり、 ことばの教室に行かなくちゃ行けない、 忘れていかないわけじゃないけど、 連絡もできず欠席するしかないとか。 好きで放り投げているわけではなく、 実は一番苦しい思いをしているのは、 お母さんたちなんだろうな…とわかっているつもりでも、 一緒にがんばっていると思っていたのに、 裏切られたかな…と感じたときとか。 逆に私たちのちょっとした一言に、 傷ついた・・・なんて声を耳にしたときとか、 ましてや私たちの関わりから、 逃げるようにして去った後、 いろいろ問題になっていることを耳にしてしまうときとか、 やっぱり、とても落ち込むことがある。 お母さんたちも人間だし、 私たちも人間。 上手くいかない話を聞くと、 どうして続けてくれなかったの・・・?とか、 あの時どうしてきてくれなかったの・・・?とか。 これまでにいろんなお母さんと接してきて、 2歳ごろに出会って、やっぱり就学前に気になって再会する方、 初めだけ関わってそのままになってしまった方、 徐々にがんばれるようになった方。 学級崩壊は勿論親だけの責任ではない。 教師の力量。 学校の体制。 周りの理解。 様々な要因であることは分かっている。 学習の理解がしにくいとか、 理解が難しいとか、 それもあると思う。 でも、根本的にADHDだろうが広汎性の発達障害があろうが、 LDであろうが自閉症であろうが、 子どもが発達する力には変りがないと思っている。 だから何もできなかった。 とか しつけが難しかった。 とか 席に座れなかった。 とか 言い訳に使って欲しくないと思う。 その子に合わせた方法や提示の仕方が分かりさえすれば、 ずっと短い時間で、 ずっと労力を使わずにできるようになるのだから。 それを分かってもらえないのが、 分かろうとしてもらえないのが、 やっぱり、悔しいし、限界を感じるところである。 子どもを育てるって 楽しいけど めんどくさいものだ。 自分で学んでくれたらどんなに楽かと思う。 ましてや発達に障害があったら、 なおさらだと思う。 でも、できるはずのことを やらせることができていないと感じることがこの頃 少し増えてきたように感じてしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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