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テーマ:障害児と生きる日常(4433)
カテゴリ:仕事のこと3
とっても久しぶりの日記更新。
プロバイダーを交換してたら、 インターネットにつながらなくなってしまった。 PCに頼らない生活と言うのもたまにはいいもので、 おかげでゆっくり本を読むことができた。 教室に養護学校のときからよく知っている子が来る予定だった。 その子は直接担任していたわけではなかったが、 クラブ活動等が一緒でよく知っていた。 養護学校ではちょっと見かけないタイプの子だったが、 高等部3年生であと卒業までわずか1,2ヶ月と言うところで、 結婚するからといって、退学してしまった。 その後文化祭等で見かけることがあったが、 会うたびに子どもがひとりずつ増えていく。 その後離婚。 今は3児の母となっている。 いずれも年子。 その子たちがいろいろ気になるということで、 教室に訪れる予定だった。 予定だった・・・と言うのは、 結局来なかった。 一見何で養護学校に通っていたのかも分からないような子だったが、 いつも男の子の話題が多く、かなりの関心を示していた。 離婚しても働くわけではなく、実家で養ってもらっている。 実家もちょっと疑問に持ってしまうような生活状態。 離婚したはずの旦那が入り浸っていたり、 その他にも同居人がいたり・・・。 子どもを連れた彼女に再会したときは、 乳母車に下の子を乗せ、上の子と寄り添って歩き、 「あ~立派にママしてるんだなあ・・・」 と感心していた。 「今度健診で会おうね~」なんて声をかけていた。 しかし、子どもが次々に生まれているのは、 幸せな家族の姿ではなかった。 単に家族計画ができず、経済的なことや養育のことまで考えが及ばないまま、 やることだけやっての結果だったのだ。 避妊を勧めても応じないそうだ。 結果本当に次々・・・3人の子どもは運よくこの世に生を受けたが、 その後そうなることさえできなかった子もいるのだ。 養育過程でも色々なことがあり、 言語環境が整っていないと言うこともあるのだろうが、 教室に誘っている。 子どもを作る作らない、 産む産まないはもちろん家庭の問題であり、本人たちが決める問題である。 しかし、産んでから親として生活の保障や環境を整える義務がある。 それができないとわかっている状況であっても、強制的に避妊させることは人権問題である。 しかしこのままでは彼女自身もボロボロになってしまう。 私たちにできること。 それは生を受けた子どもができるだけ力を発揮できるように、 サポートしてあげることだけなのかなあ。 母親を知っているだけに、いたたまれない気持ちである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.09.16 21:25:20
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