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テーマ:障害児と生きる日常(4432)
カテゴリ:仕事のこと2
4月にことばの教室を自主的に卒業していた子が、
また復活する運びとなった。 決して後ろ向きなお母さんではなく、 むしろ前向き。 子どものことも一生懸命受け止めて、 遊び教室にいた頃から、人一倍がんばっていた。 その成果があって、幼稚園でもほぼ支障なく過ごせるようになっていた。 彼女は自閉の診断を受けている。 やはり経験したことや毎日の生活には支障がなくとも、 少し複雑なルールや問いかけには応じることが難しくなる。 もうすぐ小学生。 今できることをやって、 うまく小学校につなぎたい。 この子だけではないが、 比較的高機能な自閉症であったり、 ADHDであったり、 一見何も変わらないように見えるから、 ご両親もできればこのまま…と思う。 しかし、持てる力を十分に発揮するために、 ちょっとした配慮を大人がしようと思うか否かで、 その子の理解度は全く変わる。 親には「特別扱い」して欲しくない。 という強い思いがある。 「特別」ではなく「ちょっとした」…なのだが、 これは白黒で言えばはっきりと「黒」なのである。 黙っていれば就学指導委員会を難なく通過するはずなのに、 先に相談したがため「色眼鏡」で見られるのではないかという心配もある。 学校側も落ち着きがない子や配慮を必要としている子が増えている中、 前もってそのような子どもだと分かれば、 対策を講じようとする。 実は保健センターに声をかけられながら、 その後一度も訪れなかったり、 親の捉え方で全く気にしなかったりして、 難なく就学してしまう例なんていくらでもある。 実はそのような子どもたちは後にどこかで生活に支障をきたすことになる可能性は大なのだが…。 つまり、真剣な親の方が遊び教室やことばの教室に訪れるのであって、 がんばった上に学校にわざわざ相談して「先入観」を持たれるのは、 なんとも腑に落ちない話なのである。 教室に来るお母さんから、 よく自分の子どもではなく、よその子どもに気になる子がいる…。 と教えてくれることがある。 彼女たちは遊び教室で色々な子どもたちを目にし、 ことばの教室でも関り方やそのなぜを学ぶ。 だから、下手な専門家より目が肥えているといってよい。 復活した彼女も小学校との連携はまだ考えていない。 どんなに子どものことを認めてがんばっているように見えても、 最終的に「治る」という希望も捨ててはいない。 「治る」のではなく「習得していく」。 根本的に自閉症は「治らない」。 子どもができるようになると信じてがんばってこそ成果が上がる。 「治らない」と言って突き落とすことに何の意味があるのか? とにかくやる気になったのだから、 その気持ちを大事にしていこうと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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