テーマ:政治について(20208)
カテゴリ:政治
原口一博総務相が小沢支持を表明した。 「政治と金」と検察審査会の問題に関しても「推定無罪が民主主義 の鉄則」と容認発言をしたと報じている。 世論に蔓延りつつある、日本国家の切羽詰った経済的危機的状況を 背景とした「一先ず政治と金の話は置いておいて・・・」といった 風潮と共に全くウンザリとする。
「推定無罪」が世界標準であるなら、西松事件での元秘書の逮捕と 二十数億円もの政治資金収支報告書の虚偽記載が現実のものとして 事前に認識されている政治家が「これから」一国の代表になるのは 世界標準と照らし合わせてどうなのだろうか? 起訴は免れたが「何ゆえの虚偽記載か?」は善意として捉える人間 は居ないだろう。 小沢の師匠である田中角栄やフランスのシラク等も任期中に疑惑が 出て退陣後に起訴されたが、少なくとも就任前に小沢の様な「あか らさまな疑惑」で騒がれてはいなかった。 現在の小沢待望・疑惑容認論は日本国独自の民度の問題であるのだ ろうか? 今日まで、「政治と金」の問題が有権者に無力感を与え、国家と市 民社会の関係性に停滞感を齎して異常な乖離状況を生んできた歴史 を早くも忘れてしまったのだろうか? 経済的に社会が疲弊し、困難な状況であるからこそ「日本国民の意 識」が現在問われていると思う。
右肩上がりの経済の中ではみんな脳天気でも良かったし、政治家の 質も、ソレを選ぶ有権者の質も厳密に問われる必要は無かった。 選挙前に政治家が掲げる政策は悉く実現すれば素晴らしいものばか りであるのは当然だが、その政策の具体的実現方法を「現実を加味」 して厳密に言及出来る政治家は現在の日本には見当たらない。 この部分に関しては菅も小沢も知識・認識不足であり曖昧な同レベ ルであると私は思うので「政策の違い」を二人の争点と見る事自体 が違うと感じている。 例えば「米国との関係性そのものを変える」という確固たる哲学と 現実的な手立てが無ければ、外為を始めとする経済対策も普天間の 問題も進展する事は無いし、根本的な解決には至らないのだ。
最近「アンシャンレジームの打破」なる言葉が闊歩しているが、 旧体制・旧価値観の象徴的なものが「金と政治・金と社会」の関係 のあり方に集約していると私は思う。 日本の政界でこのアンシャンレジームを最も体言してきたのが小沢 一郎であるという認識をもっている人間は私の他にも少なくないだ ろう。 全く残念な事ではあるのだが、一国の代表を決める事になる民主党 の代表選においての争点は「政治と金」の問題に関して「どちらが マシか?」だけだと私は思っている。
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