テーマ:政治について(20208)
カテゴリ:政治
マスコミでは尖閣事件の映像流出における責任問題が繰り返し報道され ている。それが問題の本質から国民の目を逸らす作為的な流れだとの批 判も多くあり、成る程それもそうなのだが、もっと本質の根本に迫れば 「何故に日本国は、この様な状況下で何も出来ない国家であるのか?」 という事になる。 「何もしない」のでは無く「何も出来ない」のだ。 「何も出来ない国だから平和なのだ」という有り勝ちな声が聞こえて来 そうだが、現在の世論は政府に国家としての尊厳を求めている様でそれ とは相反するものだろう。 まぁ、国家の尊厳を望んでいる国民の声にしても「現実」に「現在」、 「何」をする事が国家としての尊厳なのか、そして国家として毅然な態 度をとった後の影響についての覚悟も無いで言っているのだろうから五 十歩百歩だといえる。 民主党ばかり責めても虚しいばかりだ。政権交代が無く、自民党政権が 今日まで続いていたとしても、やはり今回と同じ事しか出来なかったと 私は思う。日本国は戦後一貫して尖閣事件等の様な有事に「何も出来な い国」を目指し、国民はそれを支持してきた。それが悪い事ばかりでは 無かった事は認識してはいるが、兎も角、国家間の争事には須らく日本 側から譲歩して経済性を最優先して今日まで遣って来たのだ。 今更「腰抜け外交」だの「奴属外交」だのと政府批判している多くの日 本人は己の過去の思考と言動の歴史を振り返ってみるべきだろう。 独裁国家でも無い限り、国家としての毅然な行動は、そこに住む国民の 毅然とした決意の末でしか成し得ないのだ。
戦前戦中の全体主義へのアレルギーが、戦後そのまま「国家という枠組 み」への嫌悪感へと誤変換され、それが今日まで増長増幅されてきてい る。国家や愛国心について語る事がそのまま右翼・国粋主義者と謗りを 受ける様な社会はやはり歪んでいるといえる。 世界中のどの国にも類の無い、我が国に蔓延している「歪んだ国家感」 を修正して正常な状態に戻さなければ日本国家としての尊厳など望むべ くも無いだろう。
「武力行使はしないという選択を可能な国」は「武力行使を選択を可能 な国」と同義であると私は思う。中国へ毅然とした対応を出来ない事が 国辱と思うなら、厳然とした憲法9条を持ちながら護憲も出来ず、だか らと言って改憲も出来ず、姑息な言葉の言い換えと拡大解釈で違憲状態 を放置している我が日本国の在り様こそ恥じ入るべきであると思う。
以前の日記にも書いたが 「日本国は日本人が自ら決定し、自ら行動し、 自ら責任をとる国家でなければならない。」
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