テーマ:政治について(20208)
カテゴリ:政治
(暴力装置発言) この発言を、仙谷由人の左派政治家としての経歴を考慮して考える場合 には、その含むところに批判に値する彼個人の心理があるのだろうが、 暴力装置という単語自体に私は違和感を覚えないし、自衛隊の諸君に対 する不敬とも思わない。 「専守防衛としての軍備」とはいえ、他国他組織からの暴力や弾圧に暴 力をもって抗うのだから、攻めるも守るも軍隊が「暴力装置」である事 に変わりは無いと私は思う。
憲法9条があろうが実力装置と呼ばれようが、そしてどんなに日本独自 に言葉の瞞を弄しようが、世界中の誰が見ても自衛隊は我が国の軍隊で ある。国家間でも小さな共同体の中でも厳然と暴力は存在し、そこで実 際に人間が傷付け合い死んでいる現実から「言葉の言い換え」などで逃 げる事は出来ない。そんな世界情勢の中で国家が軍隊と言う暴力装置を 持つ意義は主観的経験論が及ぶ処では無く先験的なものなのだと私は思 っている。自分の住む国家だけがその先験性から逃れられると思うのは 傲慢であり国を危機な立場にするものだろう。 だからこそ軍隊が綺麗事では無い、戦争で殺し合いをする「暴力装置」 であるという当たり前の認識はどんな立場の人間であろうと大事なのだ。 その認識があって初めて為政者も国民も緊張感と細心の配慮を払って 「暴力装置」を扱えるのだと思う。 現実の「暴力装置」の意義と問題性に言及も出来ず、言葉尻だけ論って 稚戯に等しい言葉遊びを繰り広げる国会の有様には全く失望するしかな い。
「暴力装置」への国家としての態度を曖昧なままにして国益の損失と自 衛隊員(防衛の範疇には海保も含まれるだろう)の生命を危険に晒し続 けている日本国の実情を私は激しく憂うる。
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