テーマ:政治について(20208)
カテゴリ:政治
東日本大震災から昨日で1年を経た。
日本中で追悼と支援の式典が取り組まれたが、ネット等の個人レベルで一年間という時間を意識して発せられたメッセージは、其の殆どが被被災地からであり、被災地からはそれ程でも無かったという。 当の被災地では、一年間という区切りを受け入れられない程に精神的にも物理的にも「変わっていない」という事なのだろう。 復興、復興と呪文の様に唱え続けられて来た一年であったが、地域差はあるが全体としては遅々として進んでいないというのがやはり実情だろう。 その大きな要因としての象徴に瓦礫の処理が進んでいないという現実がある。 一年経った現在でも全体の1割にも満たない6.4%の処理しかされていない。 増えるままに放置された瓦礫の山を目前にして、誰が復興への希望を持ちえるだろうか? 国は他道府県にも広域処理を求めているが東北各県以外では東京都しか受け入れていないというのは周知のことだろう。 原発事故のあった福島県の瓦礫は一先ずは県内貯留される事になっている。最終的には線量が減った後で他都道府県において処理するらしいが、其れはまだかなり先の話だ。 残りの岩手県と宮城県の瓦礫が問題となっている訳だが、他道府県の知事が受け入れを検討すると発言しただけで県民から罵声を浴びせられる事態となっており進捗はみられない。 私の住む埼玉県でも熊谷市が引き受けを名乗り出たが、現在はやはり頓挫している。 東京都は処理場の管轄が全て都に帰属しているのに対し、他の道府県では市町村が管理運営している為に地域住民のコンセンサスを得る為の道筋は険しい。 石原都知事は「拒否する地域住民の我欲」だと一喝した。 彼は復興だ支援だと言いながら瓦礫受け入れを拒否する国民を嘆いた。 私は文人としても政治家としても石原慎太郎氏を評価しているが、この発言は短絡に過ぎたと思う。多分、氏の事であるから全て解った上でのアジテートなのだろう。 自分の住む地域のゴミ処理場でさえ押し付け合う時勢で此の発言にも一理はある。あると思うが其れは今回の問題での住民感情の一部しか現していないとも言える。 放射線被爆を心配する受け入れ側の住民の心配は当然だ。特に子供の健康被害を心配する親の気持ちは無視出来ない。 自然災害被災地と原発被災地を一緒クタにして報道したマスコミの罪は大きい。 放射線量の数値を一人歩きさせ、数値と安全性の関係を歪ませた原発関係者の罪もある。 そして何より今回の問題は「国への不信感」が大きく根底にある。 いくら宮城と岩手の瓦礫は安全だと国が言っても国民が信じない状況を、原発事故以降の行政の不手際が自ら創ってしまったのだ。国民に公開されるべき情報も、理解を得る為の説明も今日まで余りにも蔑にされ続けて来た結果だ。 だが、このままでは被災民も、国も被被災民も疲弊して国力を落とすばかりだ。 暴論を言う。 「第三者機関(他国が良い)を入れて安全性を担保した上で、野田首相の権限をもって他道府県の瓦礫受け入れを強制すべし」 「原発行政を進めてきた自民党が此れに協力しないなら自民党など解体してしまえっ!!」 地域での大きな反対運動に発展するだろう。 だが、此れで「国VS国民」という正常な形で論議となる。 閉塞感を打開し、コンセンサスを得る為の大きな流れとなる。 以前、沖縄普天間問題で触れ懸念した「国民VS国民」の構図は、ネット等による沖縄県に対する強硬発言で現実化しつつある。 今回の問題も「被災民VS被被災民」の構図にしては絶対にいけないのだ。 野田総理よ 「何時まで非力な誠実さを売りモノにしているんだ。ここで決断し悪役に徹して国家の為に死になさい。君は何の為に政治家になったんだっ!!」 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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