テーマ:徒然日記(23463)
カテゴリ:科学
年に2,3回の頻度だがNewtonという科学雑誌を買う事がある。
今月号は興味のあった「超ひも理論」の特集が組まれていたので購入したのだが、イラスト図を見ても何ともイメージが結実しない。この雑誌は私の様な「文系の横好き」にも理系の理論や事象を割と簡潔に解り易く説明してくれる科学雑誌なのだが、量子論と相対性理論の統合という事で一通り読んでみて解ったのは「可也難解なものらしい」という事と「証明されれば、人類は新たなステージへ進む事になりそうだ」という事だけ。 大体が10次元、11次元の世界の話に私などが歯の立つ道理もない訳で、バカボンのパパではないが「これでいいのだ!」 こうした研究を即物的に有益性で語るのは品が無いが、経済学にも興味のある私にはそういった部分での可能性にもワクワクさせられる。解らないなりにこうした宇宙論等の科学の分野に触れる度に感じるのは、我々人類は「無尽蔵のエネルギー」の中に存在しているという事実の再確認だ。11次元あるとすると、我々が視認できる1m3の空間は実際には1m11在るという事で良いのだろうか?・・・其処に存在するエネルギーも途方もないものなのだろう。 人類の抱える問題の殆どはエネルギー問題に帰結すると言っても過言では無い。特に産業革命以降今日まで、その為の争いと苦しみは人類に絶えた事は無く、エネルギーの量と効率が「現代人の幸福」に大きく関わっているのは間違いない。 こうした問題と科学を並べて考える時、私の頭に浮かぶのは有名なE = mc2という関係式だ。これは殊エネルギーに限れば人類は「水中で脱水症状を起こしている」或いは「砂漠の真ん中の洗面器で溺れかかっている」に等しい事を示している様に思える。同時にこの状況は、人類が化石燃料の「有限性と有毒性」や「配分の不合理による争い」を乗り越える可能性を示している。 しかし、世界中の研究者の誰もがそう感じて長年研究が重ねられて来たが、歴史を見れば素人の私が考える程に簡単では無かったという事なのだろう。 核分裂によるエネルギーは持続可能なものでは無かったと考えた方が良さそうだし、その先に見えた希望の核融合炉もITER計画が始まったばかりなのに今のところネガティブな声しか聞こえて来ない。再生可能エネルギーも、そのエネルギー密度の低さが致命的で、密度の集積技術次第だが補助電源的な役割の域を出ないというのが専門家の共通した意見の様だ。物質や時空に保存則によって存在する目に見えないエネルギーを、人類が安全かつ有効な持続可能エネルギーとして利用出来る様になるのはまだまだ当分先の事になるのだろう。 精々数百年レベルで枯渇する化石燃料であるシェールガスやメタンハイドレードの発見で大騒ぎしている世界を見ると未来も暗く思えるが、当分はこうした資源も含めた多様なエネルギーを騙し騙し使いながら、人類の「最適解」となる持続可能エネルギーを模索していかなければいけないのだろうなと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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