テーマ:政治について(20206)
カテゴリ:政治
なんと一月振りの更新・・・じぇじぇっ!!^^;;;;;
まったくもって申し訳ありません。忙しさにかまけておりました。 昨日の5月1日はメーデーという事で「労働者の祭典」でした。 メーデーの謂れはウィキっていただくとして、今やその精神性は求心力を失い、年々集う人数も減り、寂しい状況が今日まで続いるというのが現実です。「労働者の権利」は基本的人権の大きな部分を占めるものですが、「非正規」だ「ブラック企業だ」と騒ぐ割には其処へ思いを寄せる人々が少なくなって来ているのを感じます。 30年以上前には革命青年???だった私には忸怩たる思いもあるのですが、党派別でバラバラに取り組まれ、年々縮小を続けるメーデーなどに何の期待も感じる事は出来ません。 本来は労働者の権利を守る為の装置として「労働組合」が存在します。 日本は企業組合が主流であり、ここ20年間程は正規雇用者の既得権益を守る為に労使協調の賃下げが容認され、同時に時間給の低賃金非正規雇用を増やす原因の一端を「企業組合」が担って来てしまった感があります。欧米の様に安易にレイオフをさせない為に失業率を抑える事は出来ましたが、それが企業業績の回復を遅らせて恒常的に賃金を抑える構造が出来てしまった事が、そのままデフレ構造に取り込まれてしまったようです。 これは企業組合の労働者にとってもイレギュラーな作用だったと思うのですが、先進国で賃金が下がり続けて来たのは日本だけだという現実を、労働組合に関与する人間も、していない人間も、熟考すべき時期なのだろうと考えます。 日本型の企業組合は成長下限定でしか機能しないのかもしれません。 私は何となく「全米自動車労組」の様な形をイメージしているのですが、未組織の非正規雇用者や個人零細業者をも取り込んだ巨大な産業別の組合として、企業と合理的・総括的な労使関係を図る事が我が国にも必要なのだろうと考えています。 そして、もう一つ日本で「労働者の権利」を守るという当然の行為の重要性が薄められて停滞している大きな要因が「左派的行為である」という社会に潜在する固定観念です。 確かに労働組合の出発点にそうした勢力が大きく影響しましたが、「労働者の権利」に左派も右派も関係ないはずです。あれだけ反共色の強いアメリカでも個人・労働者の権利を守る意識が非常に強い事を考えれば答えは自明であると思うのですが、「労働組合」が左派勢力の集票組織だという図式とイメージは、どうにも日本の労働シーンの改革や、強いては日本人のライフスタイルの改善さえ妨げている様に思えてなりません 。 「労働組合」の使命は労働者の「利益の最大化」に尽きます。 「組織防衛」や「特定政党の集票」に四苦八苦し、其れに甘んじている様では日本の労働シーンは疲弊するばかりです。右派から左派まで、あらゆる政治勢力と是々非々に「手を組み」「手を切る」事を繰り返す柔軟性と覚悟、勇気が現在の「労働組合」に求められているのだと思われます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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