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2013.05.04
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カテゴリ:政治
2年前に実父が無くなった時にブログでも書いたのですが、我が家は特殊な事情で非常に政治色の強い家庭でした。私は今年で54歳になるのですが、小学生の頃から朝日新聞?と政党機関紙を読み、デモに参加し、日々の政治関連のTV番組に注目し、高学年の頃には立派な革命少年?が出来上がっていました^^;
20代以降は立ち位置を違えて現在に至りますが、現在でも労働運動には関わってはいますので実に40余年に渡って様々な観点からの様々な言説を聞き続けている訳です。

で、「もう好い加減にしませんか?」と私等は考える訳です。

同じ論点を、同じ理屈で、何十年も論議し続けて非とも可とも何も決められない。
決められない事その事も問題ですが、それを不可思議・不合理だとして社会が動かない硬直性の問題の方が未来を考えると重大の様に感じます。
「如何でも、どっちでもいいんだよ」という人が増えてきたのは事実ですが、半分位の国民はやはり「このままじゃ駄目じゃん!」と思っている訳です。
直前の日記で「労働組合」について書きましたが、現在の日本に必要不可欠であるのも「柔軟性」=「フレキシビリティー」と表現されるものであり、現実的には社会参加への「能動的気分」を喚起する空気です。
アベノミクスは実態を差し置いた状況でも、デフレ硬直した経済状況下での「景(気)」喚起には一先ずは成功しています。
次は国民の「政治デフレ」を解消する為の空気を喚起する事なんじゃないだろうか。


96条改正、やったらいいと思う。

反対派は「憲法は権力者を縛る力であり、手続きを緩和して簡単に変えられては大変だ」という一つ覚えを繰り返し、一部の勢力は相変わらず「戦争への道だ」だのと馬鹿げた短絡的な言説を繰り返す。
賛成派にも「押し付け憲法だから」だの「ドイツは50回以上改正してる」だのといった思考停止した意見が幅を利かす。
「そんなの関係ねぇ!」と小島よしおが復活しそうだ。

憲法だろうが慣習法だろうが、たった一つの法律を正義の御旗として不変的性質(普遍的じゃ無いですよ)を与える事は国家宗教と何ら変わらない様に思う。
また、総議員の「3分の2」を「2分の1」へ変えるという案の数字だけに固執していては何も見えてこない。この「総議員」は国民が選挙という手続きを経て決めた人間じゃないのか。事の次第は「国民がボーとしているとヤバイ」事を実感させると同時に、「駄目だと思ったら何度でも変えれば良い」という持続可能性への希望を指示していると思う。

私は改憲派だが、国民が手続きに参加して決まった事なら護憲でも構わない。優先されるのは、国民が国家の方向性の決定に参加出来るという社会的空気の創造だ。

で、何時変えるのかと言えば・・・今でしょ!
勇気と覚悟をもって「負のループ」を断ち切る時期なのだと私は思います。






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最終更新日  2013.05.04 12:55:00
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