テーマ:政治について(20207)
カテゴリ:政治
特別秘密保護法が成立しました。
当事者性を欠いた意見の様に聞こえるかもしれませんが、「決める政権」と「反対する国民」という真に健全な国家と国民の関係を久しぶりに見た様な気がします。 この局面では選挙結果を背景とした安倍政権の正攻法的手段と、此の法案自体の価値を別々に考える必要があるのではないかと考えます。 私は諸外国との連携を考えても「特別秘密法」の必要性を感じている一人ですが、発展途上国並みの「お手盛り監視機能」しか持たない(持てない)我が国での運用に危険性を感じていますので現段階では反対を表明して来ました。 一方、安倍政権の手法は「強行採決」等では無く、民主的法治国家として方向性を示した合理的で解り易いものであったと私は評価しています。 野党はその愚劣振りが際立っただけでしたね。 異常な程の合意形成を必要とし停滞して来た歴代日本政府の意思決定の姿は、お題目としての民主主義さえ蔑にして来たと私には思われます。 過去に何度か書いて来ましたが「決められ無い政府」を持つ国家は「国家VS国民」という健全な形とならずに「国民VS国民」という不幸な図式に成りがちです。 米軍基地問題は「沖縄県民VS他都道府県民」となり、原発問題にも同様の「明確な意図と意思を表明し断行しない政府」が齎す弊害の図式が見られます。 私は改憲論者ですが、9条改正を阻んで来たものは左翼や野党勢力等では無く、圧倒的な長期政権を誇って来た自民党の恣意的な性質でした。国民を徒に「右翼・左翼」等という図式に落とし込んでしまう論議はナンセンスであり、責任政党であった自民党政権が政局に終始せずに腹を決めれば疾うの昔に事は成っていたものです。国民の側も彼等の党利党略に気付きながら其れを逆手にとり、自らの「事なかれ主義」を「理想主義」の陰に隠して来た事を自覚すべき時期ですね。 理想は大事ですが、理想主義は形骸化した淀みであり、日本の異常な合意形成への希求はその典型であると思われます。 我々は「形骸的な理想主義の限界」を現代日本の通弊の背景に自覚しなければいけない。 法案は通ってしまいましたが、この後も国民の反意の声が大きくなる事を希望します。廃案とならずとも、それが此の「特別秘密法」の恣意的運用を抑止する力となり、せめて先進国並みの「中立な第三者機関」を設立する為の力ともなるのでしょう。 責任政党として一歩踏み込んだ安倍政権の存在が、国民の参政意識を喚起するものである事を期待したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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