テーマ:徒然日記(23460)
カテゴリ:思想
これはお隣の韓国のニュースですがナイジェリアでテロと女子中学生拉致の情報をシェアしたばかりで、日本も含めて子供が被害者になる事件のニュースばかり聴かされている様な気がして滅入るのは錯覚なのだろうか。
ニュースで報道され続けているので多くは書く必要も無いのでしょうが・・・ 韓国檀園高校生の救出率は23%と発表されています。 一方、乗組員は29人中20人(69%)の生存が確認されていますが、その内訳はサービス関係14名中5名(36%)で、なんと運行関係15名(100%)は全員が無事でした。 救出後の聞き取り調査の結果判明した事実は更に驚くべきものでした。 午前9時ごろに遭難信号を発信した僅か30分後に船長と船員が離船脱出。 その後1時間50分後に船が沈没したので船長を筆頭に運行関係者達には乗客を避難させる時間が2時間程あった事が解りました。ほとんどの乗客(生徒)は乗組員が居ない事を知らないまま、混乱の内に海に沈んだ事になります。 この事故のニュースが流れた当初、船が傾きかけた時に「待機しろ」という誤報が流れたという情報が飛び交いましたが、もうそんなレベルの問題では無くなってしまいました。 総乗船者475人のうち、船長が真っ先に逃げた事はほぼ間違いない様です。 乗客や家族の怒りの声と、運行関係者の責任を激しく糾弾する報道・世論はご承知の通りで敢て書きませんが、怒りと共に大きな失望感を感じます 事故に絡んで職業倫理や責任感の話が巷やネットで盛んな様です。 私は特別に正義感が強い人間でもありませんので日常生活で軽微な他者の困難に目を瞑る事もありますし、今回の事件で対岸にいれば「救出に行け」と言われても二の足を踏むでしょう。しかし、当事者として今回の事故の現場に居たら逆に自分の命を守る為だけに我先に逃げる自信?や確信がありません。倫理とか責任感とかの能書きの前に人間の身体は咄嗟には包摂的に動くものだと考えますし、時間が経って初めて「このまま生き恥は晒せないな」という後付の思いが更に留まらせるものでは無いかと思います。 「現実に直面していないからそんな事が言えるのだ!」という声があれば其れは全く其の通りで、私たちは実際に目の前で逃げ出した人間達が居た現実を見てしまいました。 彼等は糾弾されて然るべきで今後の人生も困難を極めるのでしょうが、当事者で無かった我々に此の事故が突き付けるものは今後の彼等の人生と大きく関係します。 「そうまでして生きる価値が人間にとってあるのだろうか?」 こうした機会に自己に問うて考え、覚悟を決めておく事は必要の様に思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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