テーマ:政治について(20206)
カテゴリ:政治
私が9条改正を望む所以の大きな部分に「拡大解釈」への懸念と反意があるのですが、それと合わせて「集団的自衛権」という概念にも釈然としない不合理なものを感じます。
独立した一国が自衛権を持って居る事は当然であり、必要とあれば現状での「集団的自衛権と言われているもの」の「行使そのもの」にも私は問題性を感じませんが、以前にPKOとPKFの線引きが現実には曖昧である事を語ったケースと同じで、自衛権における「個別的」と「集団的」にも明確な線引きがあるわけでは無いのです。時々の状況と首相の判断に依る処重大であり、中東派遣が個別的自衛権行使で、日本近海で集団的自衛権を行使するなどという事も当然ある訳です。個別的自衛権や集団的自衛権なるものを無理やり設定し、拡大解釈だけで其れを有効にしたり禁止したりする事など土台は齟齬を生む不合理な話で、当事者性を欠いた言葉遊びの如きものであると私は考えます。 その先にあるのは従来通りの国民の無理解の中で、自衛隊員を丸腰同然で危険地域へ派遣する頻度を増やすだけの事なのではないでしょうか? こんな場当たり的で非言語的な「拡大解釈」を繰り返していたのでは「戦争をする国になる」どころか、結局自ら招いたパラドックスに雁字搦めにされて今以上に「自国の平和も守れぬ国」に成り下がってしまいます。 それは改憲派が望んで来た「普通の国」とは全く違うものです。 「独善的な一国空想平和主義の護憲派」と同様に、改憲に依らない拡大解釈を良しとする勢力もまた「New護憲」と呼べるかもしれません。 安倍政権の拡大解釈の提起に対して、其の不合理性に「改憲案で対応せよ」という野党の意見が多い様に思われます。民主党の出方にもよりますが拡大解釈を放棄し、道徳や倫理の押し付け感満載の「非現実的憲法草案」も取り下げて9条改正だけに絞れば、96条の壁にチャレンジ出来る可能性もある様に思います。 色々な意味合いで「日本人は9条の現実から目を背けてはいけないっ!」 そう思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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