現在、銀座松屋デパートで「古田織部展」が催されています。家内と娘二人は昨年の大晦日に行っていますので、久しぶりに一人で電車に乗って有楽町に出て来ました。
私は陶器好きですが不調法で茶道の世界にはトンと縁の無い人間です。ですが以前に松本清張著「小説日本芸譚」で取り上げた様に「数寄の世界」には」強く惹かれています。利休・織部・遠州という日本の数寄者の系譜には、私の「無い物ねだり」に起因するのですがある種の憧憬の念を感じるのですね。
私はアニメしか観ていないのですが、織部を主人公にしたコミック「へうげもの」の人気も彼の生きた時代と数寄の世界の面白さを若い世代に少なからず知らしめている様です。 「へうげもの」は「ひょうげもの」と読み「ひょうきんもの」という意味らしいですが此れが額面通りに受け取れぬ中々の曲モノで、所謂「織部好」のベースとなっています。
会場は平日の昼前というのに結構な人だかり。1000円の入場料をとる百貨店催事としては大成功でしょうね。一通り観るのに結構並んで時間が掛かってしまいました。 茶道具だけでなく、織部の時代の彼に関連する品々の展示や映像、再現された茶室も興味深かったのですが、私の目的は矢張り「焼き物」。其れも「織部OF織部」(と私は思ってます)である美濃焼の瀬戸黒織部です。「老松」「野鴉」と銘打たれて並んでいる茶碗の前からは暫く動けませんでしたね。
実際に手にして質感を感じたいという強い衝動に駆られます。
一色の釉薬を全体にかけて「土見せ」の少ない焼き物を「素人好み」とからかう人もあり、実際「織部好」の観点からも端正に過ぎる観もあるのですが、私は「織部好」の典型ともいえる故意に形を歪めた焼き物と同じ位に此の「瀬戸黒茶碗」にも「へうげものの覚悟と悲哀」を感じるのですね。
●織部だからこそ知る「利休の後に利休なし」という覚悟
利休・織部・遠州の系譜と書きましたが、利休と織部の間には大きな断絶を感じます。 利休の茶は「戦国の茶」であり、生死を掛けて戦う人間に振る舞う「生き死の茶」にまで最終的には高められ様に思います。秀吉が彼を死に追い遣る程に恐れたのは粋人としての利休では無く、利休が「イデオローグ」であり茶道を其の理念と同等とした事でしょう。利休の茶は「利休だけの一代限りの茶」であり、何人も一人の客としてしか関われない。その為には他の如何様な価値も顧みられないのであれば最早「伝統」や「文化」の域を超えてしまい為政者にとっては脅威以外の何物でもありません。利休に心酔していた織部にも「模倣は出来ても受け継げないモノ」が感じられていたのではないでしょうか。
利休の様な孤高にして独善的な天才はしばしば周囲を振り回し、其れに巻き込まれたという意味では秀吉も織部も同じかもしれません。
to be continued