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2015.02.15
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テーマ:徒然日記(23454)
カテゴリ:宗教
こんな記事を拾ってきました
<「宗教」と「政治」の接点を求めて --- 長谷川 良>
この人の宗教絡みの記事は何時も面白い。

(多神教国日本)
一神教と多神教の差異を「信じる」と「知る」いう分かち方で考察する事は、大凡の現在の日本人の宗教観 にも適用されそうですね。「知る」を「感じる」と変換すれば、無宗教を自認する日本人の多くは多神教信仰者といえるかもしれません。
一神教国は当然排他的であるが故に攻撃的である事は論を待つまでも無く、日本も明治以降欧米列強に抗する為の攻撃性を担保する為に天皇を担ぎ出して一神教擬きを作り国民に信じ込ませました。戦後、日本文化の象徴としての天皇に戻った事は幸いですが、現在の日本人の宗教嫌いは其の一神教擬きの体験への逆ブレ現象の様に思います。

(政教分離の不可能性)
我々日本人が民主主義の御旗の様に信じている政教分離ですが、独裁的で弾圧的な手法を用いない限り国家の社会システムは「倫理観」「死生観」などの宗教的な解釈の影響からは逃れられない訳で、国家と国民の利害関係だけでは到底ガバナンスは担保出来無い。政教分離など観念的に過ぎる頭デッカチの思い込みに過ぎないナンセンスなものかもしれません。政治を勉強すると必ず通るヘーゲル哲学も、最終的には「宗教国家擬き」の様な処へ迷い込みブチ当たったりしています。 長谷川氏の言う政教分離の不可能性は人間理性に限界があるという必然性(蓋然性?)から考えれば当然の事の様にも思われます。理性的=合理的=無矛盾だとするとそんな社会では人間は窒息死してしまう。人間の暴力性や自然の暴力性は其れ自体が本質であったとしても、其れを不条理であると感じる事こそ人間理性だと肯定するなら、「政治と宗教の接点」とは、反目しがちな国家・国民間を宗教、或いは宗教的なものが緩和しているという事実そのものでしょう。

(IS問題を宗教問題として語るな)
現在のISの暴挙を「イスラム原理主義」として宗教論で論ずるのは国家間・宗教間の無理解と誤解の連鎖を増長するだけであり、ナチズムやソ連東欧の共産主義と同列のファシズムの系譜として語られるのが本筋であると思います。ましてISなど国家とも呼べぬテロ集団という存在なのですから。
平等を規するならイスラム教圏諸国で欧米諸国が行って来た理不尽にして横暴な歴史も同じテーブルに上げて総括すべきであり、実際にそうした論調でのISに関する記事も散見しますが、現実の問題解決を遅らせ論議の拡散を齎しているだけの様です。
欧米には自己正当化の論理が在り、日本ではイスラム教圏地域の歴史と現実に関して無関心と無知に過ぎている事は、IS問題や宗教論以前の問題として押さえておくべきかもしれません。

(本筋からズレますが無神論に関して)
不信心な記事が多いですが私は無神論者ではありません・・・多分^^;
古からの稀代な哲学者達も含めて世に「真の無神論者」が存在するかは疑わしいものだと特に近頃は思っています。本当に居たら居たで其れを「信じる」事が出来る信念体系としての無神論は一神教と同等であり、無神論者は其の信者だと考えた方が理解が容易かもしれません。
実際の有神論者と無神論者の違いは、ニヒリストとシニスト程の違いは無いでしょうね。
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最終更新日  2015.02.15 17:00:45
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