テーマ:徒然日記(23460)
カテゴリ:教育
「ドッジボールは暴力」に賛否 この手の論議は昔からあるのですが、私が大人に成ってからつくづく自分の体験した「学校教育」というもののデタラメさを実感したのも斯うした部分に関連するものです。 ドッジボールのシンプルな競技性は非常に解り易いので論じる事例としては良いかもしれないですね。 競技である以上、攻撃側が相手チームの弱いところを集中して狙うのは当たり前ですね。 一方、守備側は自チームの弱点をカバーし合いながら攻撃に転じるのが合理的で当然な事なハズなのです。戦略的にチームが勝つ為の施策を皆で考える内に包摂的な意識も生まれ、チームメートだけでなく相手チームへのリスペクトも生まれるものだと思いますね。 そして終わればノーサイド。 運動能力に劣りカバーされるだけの子供は少々情けの無い思いもするでしょうが現実は現実として認識して、自分が置かれた状況で最善の道を探らせる事が重要なんですね。 運動能力に余裕のある子供には頭を使わせて「全体最適」を図る様に仕向ける。 「不得意」は恥では無いですし、「得意」も広く生かさなければ本人にとって真に有効なものにはならないんですね。 私自身は幼児・児童の段階での「ドッジボールの教育的有効性」はあると感じますが、能力がバラバラな体育授業に加えるのですから当然に教師の指導方針や指導力は問われるのですね。 自分の体験もありますので言葉が汚くなりますが・・・ 「漠然と生徒にやらせとくんじゃねーよ、バカ教師!」と少々声を荒げて私は言いたいですね^^; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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