テーマ:徒然日記(23453)
カテゴリ:思想
いよいよクルマの自動運転技術の実現が目に見える形になって来た用ですが、それに伴う問題として提示されたている記事群が興味深く考えさせられるものでした。
「完全自動運転自動車とトロッコ問題について」 「自動運転車の法律問題を総括すると見えてくる難解な課題」 全て自動運転になれば便利だな、、、程度にしか軽く考えていなかった自分の迂闊さに落胆もしたのですが、この問題は人間社会が「理性の限界」として解答不能(してはいけない?)としてきた問題に対して、技術革新其の物が人間理性の限界(パラドクス)を超える新たなパラダイムを要求している様な気がします。 「トロッコ問題」は人間にとって本当にパラドクスなのでしょうか? 事後であれば確率的にステークホルダーになってしまった人間の責任性や便益は分配される事なのですが、それを事前に人間が決定する事は不合理な事なのか・・・ 「トロッコ問題」をパラドクス足らしめて来たのは人間が「倫理観」「道徳」「宗教」「正義」等と呼んで「共有すべき認識」として来たものなのだと思われますが、科学技術の革新が迫る人間社会における観念的理解の変容は不道徳な事なのか・・・ この問題を公に話し合い、また個人でも考える事は非常に意義のある事の様に考えています。私自身にとっても知的好奇心をあらゆる方向に拡張してくれる切っ掛けになる予感がします。 余談ですが、「トロッコ問題」自体は我が家では良く話題に挙がります。 以前にTV番組で取り上げられた時に私が娘達に説明して以来ツボにハマった様で、設定を変え、ある時は本来の趣旨を外れて「究極の選択的悪ノリ」で盛り上がったりするのですが、詳細は炎上すると困るので書けませんので悪しからず^^; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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