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カテゴリ:教会
前夜式までの数時間を実家と弟のレストランで過ごし、
(岐阜市内から車で40分ほどのところです) 改めて再び教会に向かいました。 前夜式の司式をされたのは、 息子であるshinzy先生。 深い悲しみの中で、初めて執り行われたという 自分のお母さんのためのお式・・ ご心中は計り知れません。 さち先生の思い出・・ 「母親として」「牧師夫人として」 そして一クリスチャンとしてのその生き様を shinzy先生、同労の先生方、そして信徒の方々が 語られました。 与えられた命を100% 神様に捧げられたお姿がまざまざと浮き彫りにされました。 まさに聖書のパウロが語った、 「走るべき行程を走り尽くし」た人なのだと知りました。 (使徒の働き20:24) 様々なお話を伺いながら、Uooの心に響いていたみことばは・・ 「それは、私がどういうばあいにも恥じることなく いつものように今も大胆に語って、 生きるにしても、死ぬにしても、私の身によって キリストのすばらしさが現されることを求める 私の切なる願いと望みにかなっているのです。 私にとっては、生きることはキリスト、 死ぬこともまた益です。(ピリピ1:20-21)」 パウロのように 生きるにしろ死ぬにしろ ただ神様の栄光のために命を捧げる! その気迫に圧倒されそうな気持ちになりました。 Uooの心に問いかけが生まれました。 「おまえは何のために生きているのか」 「与えられている時間をただ我欲のために用いてはいないか」 「怠慢に過ごし、その貴重な時間を無駄にしていないか」 ごめんなさい、神様! 自分のことばかり、そして目先のことに捕らわれて あなたの永遠に目をとめることをせず、 日々を無駄に過ごしていました。 今、悔い改めます。 さち先生を通して今日教えてくださったように、 私を通してもあなたが働いてください。 イエス様と、そして先に召されたさち先生はじめ 信仰の先輩に天で出会えるその日まで、 与えられている、「走るべき行程を走りぬく」ことが出来ますように 日々導いてください。 続く。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.04.01 15:00:54
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