いのち、なぜ大切?どう大切?どれほど大切?
先週の日曜は、中村区(秀吉の里!)にある、インマヌエル名古屋教会の礼拝に出席しました。メッセンジャーは、小さないのちを守る会主事の水谷潔先生。とても分かりやすく、大切なことを教えられるメッセージでした!以下、説教メモを徒然と記してみます。『いのち、なぜ大切?どう大切?どれほど大切なのか?』中絶された胎児がゴミとして処分される・・・毎日多くの人が自殺・・・親が子を、子が親を殺す・・そんな事件が毎日のように新聞やテレビを賑わしています。1 いのちはなぜ大切か?そして神は、「われわれに似るように、われわれのかたちに人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 創世記1章26,27節●神様にとって大切です。私たちは神に似るように、神のかたちに造られました。この『かたち』とは、英語ではImage(イメージ)。Form,Shapeなど、目に見えるかたちではなく、霊を持つ存在として造られたのです。太閤秀吉がある時、利休に尋ねたそうです。「下々のものは、自分をサルに似ておると言っておるそうだが、そちはどう思う?」利休の答・・・「殿がサルに似ておるのではありません。サルが殿に似ておるのです」人間に似せた神々は『偶像』です。神話の神々は、人間のように恋したり憎んだり・・そうではなく、人間が、神に似せられて造られているのです。そして、神と人間はお互いにコミュニケーション(交わり)を持つことができる存在です。人が誰かと通信する時、同じ通信手段を持っていればそれが出来ます。お互いがパソコンという通信手段を持っていればメールが出来るように・・・同じように、同じ『霊』を持つもの同士である神と人間は交わりが可能です。命を殺すとは、神の似姿を破壊すること、だから絶対にやってはいけないことなのです。●お互いが大切「われわれに似るように」とありますが、神様は三位一体、3つの人格です。(父、子、霊)神様ご自身が、三位一体の交わりを持つ、社会的存在。そのように、人間も男と女とに造られたのは、交わりを持つ存在として創造されたのです。夫婦とは、社会の最小単位の交わりであり、お互いがかけがえのない存在です。自分の存在価値とは、周りにとっての存在価値なのです。アメリカで、ある日本女性の記事が新聞に載りました。『悪魔のような女、キムラフミコ。』よく読むと、この女性、結構気の毒な人です。夫に裏切られるという不幸な境遇で、絶望した彼女は親子心中を図りますが、自分は助かり、子供が死んでしまった。これについて、アメリカでは、『悪魔のような仕業』と言われるのです。なぜなら、親と子は別人格。全て子供はアメリカ国家の財産であり、親の私物ではないという意識が根強いのですね。自分の命は自分のモノではないということ・・・すなわちそれは神のものであり社会のものなのです。日本では年間3万件もの自殺数、そして30万人の中絶数、、、現実は60万とも90万ともいわれます。あのビートたけしさんは、少年時代、お母さんに尋ねました。「どうして自分は生まれてきた?」母いわく「堕ろす金がなかったからだよ」・・・もし中絶されていたら、私たちは、あの偉大なお笑い芸人であり世界に誇る映画監督であるたけしさんに会えませんでした。ビートたけしさんは、私たちの共有財産です。同じように、私たち一人一人の命もお互いにとって大切な財産なのです。●他と違って人間は、他の動物たちと全く区別されます。『全てのものを支配させよう』とありますが、人間は支配する側、他は支配される側です。ところで、支配とは、思いのままにするという意味ではなく、管理し開発するという意味。人間は他の命と全く別格のものです。進化論では、『違う』けれども『別格』ではありません。それは、『単純』か、『複雑』かの違い。聖書は動物の命を殺すことを許しています。私たちが食事のときに口にする、いただきます、ということば。これは、『あなたの命を私の命としていただきます』という意味があるそうです。数年前、ある少年の『ゴキブリは殺していいのにどうして人は殺してはいけないのか』という言葉に世間は震撼し、また、それに大人たちはちゃんと答えられませんでした。しかし聖書に答えがあります。人間の命は、他の動物たちとは全く違うのです。2 どう大切か?それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。また私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。1コリ12:22-25いのちの質(強弱、優劣)に依存しない大切さです。聖書は、いのちとは、その大小や強弱、優劣によって価値に違いはないと言っています。それどころか弱い人ほど大切といいます。働きものといわれるアリですが、実はその2割が実によく働き、6割は忙しそうに見えるが、無駄が多く、あとの2割はほとんど遊んでいるそうです。ある人が最後の2割のアリを取り除く実験をしました。いわゆるリストラです。すると生産性があがったでしょうか?いいえ、またもとの割合に戻ってしまうのだそうです。そのアリたちも、なくてはならない存在であり、その存在によって全体に調和が生まれるのですね。世の中の風潮として、勝ち組みにならなければ意味がないと思われがちですが、そうではなく、弱いものがいなくてはいけないのです。3 どれほど大切なのか?しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。ローマ5章8節神のいのちという最高の代価が支払われたほどの大切さ。私たちの命は、毎日口にする魚や牛や豚の命によって支えられています。クリスチャンとは、いわば、十字架の上に乗った神の命を私の命としていただきますと言って食べたその人のことです。神の命の犠牲によって生きているのです。それどころか、その命は、全ての人のために、既に与えられているのです。お宝鑑定にあなたの命を出してみるならば、全宇宙最高価格がつくでしょう。それには個人差がありません。なぜなら、全世界・全宇宙の創造主である神の命が既に支払済みだからです。自分と他者の命の価値を確認し、大切に・・・そして価値ある命を使命のために用いましょう!使命とは、命を使う、と書きます。あなたでなければできない、『使命』があるのです。※※※※※※※※命の大切さ・・・礼拝に神様を求めてやってくる人々だけではなく、教会の外にいる全ての人に、このメッセージを届けたい!と思いました。そして、私に与えられている価値ある命と、その使命を思うと心が燃やされるのを感じます・・・神様、いのちを与えてくださってありがとう!聖書のすばらしい福音(良い知らせ)を、私の使命として多くの人に伝えることが出来るように力を与えてください!