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カテゴリ:家族
おばあちゃんが亡くなった木曜は、大掃除やら買い物やらで
Uooもテンテコマイでした。 あくる日の金曜、自分が何をしていたかを思い出そうとするのですが、 さっぱり思い出せません・・ 村の奥さんたち4~5人が、午前中から実家の台所に詰めて 家族やお手伝いの人たちのために、昼食と夕食を料理してくれていました。 「何かすることない?」 って声をかけたら、 「今日は、家族はなんもせんでええの!」 といわれ・・・ 弔問に来て下さる人たちのお相手をするためと、 おばあちゃんが寂しくないようにということで、 母と二人、おばあちゃんの傍らにいたことは覚えています。 村の男の人たちも、入れ替わりやってきて、 お通夜やお葬式の相談をしたり、 ある人たちは、お葬式の行列で使う灯篭を手作りしていました。 (↓お葬式ごとに村の人が作ります。ハタにはお経の言葉?全部手作り) お昼頃には、祭壇やお花、フルーツなどもそろい、 すっかり準備が出来ました。 お通夜は、金曜7時半から行なわれました。 仮通夜では、村の人たちのお経ですが、本通夜では、立派なお坊さんがいらっしゃいます。 お坊さんがお経をあげてくださっている間、 故人の横たわる部屋では、ある儀式がおこなわれます。 故人の、男の孫にあたる人たちが、生前故人が来ていた浴衣をきて、 故人の体をきれいに拭いてあげ、白装束に着せ替えさせ、 頭には三角の布?をつけ、お棺に入れてあげるのです。 4年前の祖父の時、こんな風習があることを始めて知り、 それはそれは驚きました 今回も当然、祖父のときのように、弟をはじめ男の孫たち・・(Uooの従兄弟二人)が そのお役目を仰せつかっていました。 ところが、4年前は、おばあちゃんが元気だったので、 彼女の采配により、それが行なわれたのですが、 今回は、葬儀屋さんの指示に従って、エラク簡略化されました。 故人の体の上に白装束を載せ、お棺に入れる、ただそれだけのことだったそうです。 そして土曜日。 朝から村の男の人たちは、お墓につめて作業です。 そう、Uooの実家は、なんと未だに土葬なのです! お葬式があるたび、男の人たちは仕事を休んでまで、お墓の穴掘りを やってくださいます。今回はたまたま土曜でしたが・・・ (↓深さ2Mほどの穴。全て人の手で掘ります。) 告別式は、土曜12時半から執り行われました。 すごい派手な袈裟?を着た、お通夜のときのお坊さんが、 二人のお坊さんを従えて、3人でいらっしゃって、お経がはじまりました。 おばあちゃんが所属していたという、「仏教婦人会」?の代表の方による弔辞や、 弔電披露、そして焼香。 Uooとダンナさんは、クリスチャンなので、焼香をあげることは控えさせていただきました。 順番に名前を呼ばれるので、祭壇の前には行きましたが、 その場所で、心の中でお祈りをさせていただきました。 それらが終ると、隣の部屋からお棺を運び出してきて、蓋を開け、 おばあちゃんに最後のお別れです。 きれいに、色とりどりのお花で飾ってあげました。 そして、蓋を閉め、四隅を参列者が、釘で2回ずつ利き手でない方の手で打ちます。 その時、本当にこれでお別れと思って、涙が溢れました。 お棺は、親族の男性たちによって、外に運びだされ、 リヤカーに乗せられます。 そのリヤカーを、男の孫たちがお墓までひいていきます。 家からお墓までは、徒歩5分ほど。 その道のりを、参列者が行列を作って歩いていくのです。 お墓で、またお経が唱えられ、参列者がそれぞれ焼香。 そして、いよいよ、土の中にお棺が入れられました。 土深く沈められたお棺の上に、親族がその辺にある石を投げ入れ、 あとは村の男の人たちが、土を埋めていってくれました。 そのまま、参列者は家にもどり、親族だけは残って、初七日法要。 初七日が終ると、1時間ほど親戚のみんなでまったりした後に、4時くらいから 夕食にあたる「おとき」といわれる食事をしに、村の公民館へ。 「おとき」は、村の女性たちが集まって支度をしてくれる食事です。 昼も出るのですが、Uooはダンナさんとダンナさんの両親を駅まで迎えに行ったため、 お昼のおときは食べられませんでした。 村の皆の心づくしである「おとき」をいただいて、家にかえって、 さあ、これで終りか・・と思っていたら、 最後に、村の人たちがまた家に集まってきて、最後にお経をあげてくださり、 淋し見舞いのお菓子やフルーツを村の人たちに分配して、終了。 仕事を休んでまで、お葬式のために一生懸命働く村の人たちは、 最後にもらうこの「お菓子とフルーツ」だけがお礼なのです。 すごいな~と思いました。でも、これが村の「お互い様」の精神ですね。 おばあちゃんには、出来たらもう少し元気でいてくれたら良かったな~と 今でもそう思っていますが、 息をひきとる時は、息子達(父と叔父)に見守られ、 亡くなった後も、こうやって村の人たちに暖かく送りだしてもらえて、 本当に幸せな最後だったなあとしみじみ感じたのでした。 あと20年もすれば、Uooの両親世代が、おばあちゃんの後を追う時代になります。 そのころには、きっと、こんな昔ながらの風習は消えていることでしょう。 村の人たちの結びつきも、形を変えていくのでしょうね。 少し、淋しい気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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